表現者になりたい

私は高校生ぐらいの時から漠然と「表現者になりたい」と思っていた。

「表現者になりたい」そう思わせてくれたのは、
一番はやはり、星野源さんとの出会いだったのかもしれない。中学2年生の時に初めて出会い、中学、高校と彼の楽曲、作品、エッセイにできる限り触れてきた。
今は、源さんに対する熱は、そのころよりはだいぶ薄れているのかもしれないけれど、人生のキーパーソンであるとは思う。

源さんはミュージシャン、俳優、文筆家(エッセイスト)と活躍するなど
幅広く活躍している。その点においてもすごく尊敬しているし、彼の歳をかさねてもなお漂う朴訥とした少年感が好きだ。
何より彼は生活を大事にしていると作品から感じる。

源さんと出会い、私は彼の真似をして私は自分なりに自分の好きな音楽を掘る生活を続けていた。

寝ても覚めても、音楽のことばかり考えていた。衣食住という言葉があるが、私の場合はそこに音楽が入ると思う。「衣食住音」。

彼のラジオ、音楽専門誌、カルチャー雑誌、音楽関係の店の軒先にあるフリーペーパーからも音楽を大量に知ったし、
実際にタワーレコードや堀江のレコードショップに赴くなどして、ありとあらゆる音楽に触れてきた。

数多の音楽と出会い、これまであまり触れてこなかったドラマや映画、コント、ラジオにも触れることができた。
中学3年生の時に、8ヶ月だけ地元の劇団に所属していた。
昔のことだから記憶が曖昧だが、そこでは発声の仕方や、歌、ミュージカル、演技について学んだ。

一般人がこんなことを言うのはとても恥ずかしいが、もっと顔やスタイルが良ければ、そして足の障害がなければ、私は小規模の劇団員か、演者、俳優になってみたかった。

演じるということを身をもって少しでもいいから学びたかった。
歌も、本格的に習ってみたかった。
踊りも、オリジナルだが、音楽をかけて自由気ままに踊ったりしている。

演者や歌手になりたっかった。

けれど演者や歌手は大衆に見られる仕事であるから、緊張しいの私には向いていないと思うし、何よりタイトなスケジュールの仕事であるから時間管理がきっちりとできる人でなければならないと思う。

星野源さんのように、日本中、世界中に愛される表現者にはなれないかもしれない。

けれど私は、誰かひとりのための表現者になってみたい。

もうひとり、高校生の頃から出立ちも含め雰囲気が好きな俳優さんがいる。

河合優実さんだ。

彼女はひとつ歳上の俳優さんなのだが、とてもひとつ歳上には見えないぐらい大人びている雰囲気を持っている。

切長の目にふっくらとした唇、ハンサムなショートヘアー。凛とした雰囲気。

私はロングヘアーだった時もあるが、なぜだか自分が自分ではないような気がしていた。女性であるということが、強調されているような気がして。
誰かモデルになるような人、こんなスタイルやこんなふうな人になってみたいと思わせてくれたのが、河合優実さんだった。

彼女のヘアースタイルやメイクを真似してみたことがある。ファッションを取り入れたりしてみたいと思いながら、古着屋さんや福屋さんに出向いたりしたことがある。

最近は彼女の出演しているMV作品やCM、インタビュー記事を見たり、読んだりしている。
インタビュー記事を読んでいて、自分を貫くという強い意志を持っている俳優さんだと感じた。
インタビュー記事を読んでいると烏滸がましいが、彼女と同じような考えを自分も持っていることに気づいた。

持っている語彙も少ないし、論理的でまとまった文章も書けない、何も賢くもない、何でもない、ただの阿呆な大学生であるが、私は「誰かひとりの表現者」になるために、少しずつできることをやっていきたい。