私の病気について、これまでの人生について。

PVL(脳室白衣白質軟化症)の片麻痺である。
1ヶ月ほど前、私は23歳になった。
4月から7月半ばまで社会人として正社員として病院で医療事務職員として働き始めた。
私は目の前で起こるすべてのことに何でも反応してしまうのだ。それに気を取られて前に進めないことがたくさんある。周りの人の会話や、音、匂いなど。
14歳の頃から22歳に至るまで、カウンセラーが在中する心の相談室へ通っていた。

私は正直なところ関西弁が苦手だった。
その大きな壁を何とか乗り越えようと必死だった。
「関西弁で喋らないでください」と言って仕舞えば、簡単なのだが、それは同時に「私に気を遣ってください」と周囲に洩らしている気がし、虫唾が走った。それではいけないよなと。
家庭の中でも、関西弁が飛び交う。
それが辛いけど、私はまだ耐えている。
関西弁が苦手なので気を遣ってくださいは違う。
関西圏では関西弁が普通なのだ。
普通チャンネルに私が歩み寄っていかなくちゃならない。

口癖のように、何度も言っている言葉は、
人を幸せにする、人を幸せにする仕事に就きたいと言うことだった。
帰ってきてホッとできる居場所を作りたかった。
其れが誰かの明日の活力になるならば、と。

何でも話していいよと。
私は昔保健室で先輩同級生後輩達の話を聞いて回った。落ち着きのない人たちや、自分の話を聞いてほしいと言う人たちでいっぱいだった。
その時私は、一人につき3分あげるから好きにしゃべっていいよ、とカウンセラー的な立ち位置を担っていたのだ。
喋ること、と言うのは、言葉にすると言うことは本当に傷みを伴う。
傷つけると言うことに対して、私はある種の怖さを知っていた。けれど、傷つけたり、喧嘩したりすれ違ったりしてみたいと思うようになった。
それだけでも、全然違う。
それお前違うだろって、何かしらの傷みを知りたかった。心の傷みは、消えないけど、
本当の優しさについてよく考えている。
本当の優しさは、相手のためを思って、しないことも必要なのだと。
厳しさは時に必要だ。
厳しさと痛みと傷みを知って、私は強くなれるし、優しくもなれる、そして本当の孤独を知るだろう。
その時、私は一段と、人間らしさを帯びた、強い人間になれる。
自分のことを優しい人間なんて思わない。それはなぜなら自己陶酔だからだ。そんなもの、すぐに剥がれてしまう。
けど尾崎が言っていた。
その人が、前に進めるのは人の温かい言葉なんだよと。
けど尾崎、あなたの言っていることはよくわかるよ。けど尾崎それだけじゃないって言いたい。
自分の頭だけで考えた、小さな考えは
誰かを傷つけてしまう。それだけが怖かった。
自分らしくいたい。こんなふうにいたいという、エゴを捨てる。
アーティストにならないということ。
ふつうの、ニュートラルな人間でありたかった。
それが私が大人になれた瞬間だった。
誰かのことを守りたいと思った時に、私は大人になった。
周りには本当に、困っている人たちが沢山いる。
私と同じように精神的な病気と肉体的な病気で苦しむ人。そして、家族問題や、貧困で苦しむ人たち。
そして、勉強できない環境にいる人たち。
人を幸せにすると言うことは、私が元気でなくちゃならないんだ。だから私は笑っているよ。いつでも。
そして勉強できる環境にあっても、わからずに苦しむ人たち。
だから私は本当に感謝しなくちゃならないんだ。
こんなふうに生きたいです。声高々にして言うこと。それは違うよと。
世の中は勉強だけではないと、教えてくれた人たち。そんな人を置き去りにして私は無碍なことをしていいのかと。
だから私は街を見て、悲しくなってしまう。
本当に生きているだけで嬉しいと思えるようになった。

私は何ができるのだろうか。
本当の優しさとは、何だろうか。
未熟である優しさは時に傷つけてしまう。
成熟した優しさを身につけること、常に自分と向き合い続けること。それが必要だった。
たった小さな世界に篭らないで。
人生は人を許すことなのかもしれない。
そして私もまた、誰かに許されている。
本当に私は人の痛みを本当に知る時が来る。
傷つきたい。それから逃げない。
そして唸るほどの体の痛みは、どこにもやることはできない。