less is more 情報氾濫の狭間で




23歳になった歳。
周りの友人が地元を離れたことで精神的な依存や親からの自立の線引きをよく考えるようになり、これまで勉強ができない自分を責めていたり、声が大きい家族にエネルギーを吸い取られてしまったりすることについての対処法を考えるようになった。
そしてわたしはある種組織的なところで働くことはあまり向いていないのだということ。
自分なりのやり方にこだわる所がある。

わたしはいつもよく青天の霹靂を求めたり
自分と似た人間や、過去に抱いてた気持ちを掘り起こすために本を読んでいた。
そして思春期や大学時代に抱いていた劣等感やコンプレックスなどはっきりと難しい言葉など使わず包み隠さず言葉にしている本に出会ったりした。
あまりにそういう本ばかり読んでいると
心が痛かった。けど、避けちゃならないこともある。

仕事を辞め、自分の置かれた環境そして
限られた体力の中で何ができるのかと考えた時に
わたしは身をもって社会を知りたい(早く就職がしたい)けど、それができずに苦しいという思いが常にあって、本当に苦しい。みんな右往左往している。そしてまたわたしも。

今まで読んでこなかった 絵本や、医療や福祉についての作品(まんがやちくまプリマー新書)、キネマ旬報河合優実特集を読み返すことだったり。

彼女は俳優としても人としても成熟度合いが段違いと感じる。作品に対して向き合い続けること、その脚本にある背景はなんなのかを探っていく作業を、常に言葉を既に用意して登壇している様が窺える。俳優という立場でありながら
作品の機微を捉えることがとても上手な人だというか。そこに一切の私情なく脚本に向き合う姿が成熟しているなと。
社会に対して迎合していくという能力も大人のスキルとしては本当に必要だし、黙って耐えるということも必要。