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いじめられた話

お疲れ様です
書きたいジャンルのことがたくさんあってナンバリングが放置されていますが、必ず書きます。

昔は真面目だけが取り柄でした。
奔放な姉1と、思春期で荒れた姉2に四苦八苦している親を見てて、「真面目でいなくちゃいけない」という強迫観念的なものに晒されていたのかもしれません。

自分で言いますが、小学校ではムードメーカー寄りだったと思います。でも家に帰れば息が詰まるという状態でした。
いわゆる機能不全家族というわけではなかったのですが、貧しい時期もあり、苦しかったです。

中学に上がると、姉2人は落ち着いたのですが、僕はいじめの標的になりました。
小学校で仲が良かった友達が荒れ始め、他の小学校出身の不良たちと挙って目の敵にしてきました。

暴力、私物隠し・破壊、牛乳やドレッシングを頭からかけられるなど色々ありました
1番きつかったのはある日、クラスの比較的中の良い友人から好きな人は誰か聞かれ、つまらない人間だと思われたくない僕は、適当にクラスのマドンナの名前を答えました。

次の日にはその情報が不良に伝わりました。
不良は友人をラジコンにしたのです。
その日から当時流行っていたドラマのタイトルからあだ名が「電車男」になり、いじめにも拍車がかかりました。

不良と目が合ったとき、授業で発言したとき、なんの前触れもなく、「電車告れぇ!」とさまざまな声色で嘲られる日々が始まりました。

不良に友達を殴れと指図されたこともありましたが、やらなくて良かったと今でも思っています。

正直学校に行きたくありませんでしたが、姉貴が荒れて不登校になり、そのときと同じになりたくないと思ったので、いじめのことは親に打ち明けつつなんとか学校に半ベソで行ってました。

自分の、四六時中人の顔色を伺うというクセはその思春期前後に確立されたのかもしれません。

ある授業参観の日、不良たちは相変わらず好き放題していました。自分の親含め保護者たちがそれを目の当たりにし、大激怒。そこから大人間でどんな話になったかは知る由もありませんが、多少の暴力や暴言はあれど、いじめはおさまりました。

クラス替えでは学校側の配慮により2年、3年になるに従って不良から離され、生きるのが楽になりました。
それで、3年でゲイ自覚編に繋がるわけですね。

自分よりずっと過酷な経験をした人がいるかもしれませんが、これでも自分としてはかなり苦しい時代でした。

備忘録として残します。
お付き合いありがとうございました。

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