うるしが教えてくれること (過去記事転載)
下記のインタビュー記事は、2015年にあるプロジェクトのサイトに掲載されていたものです(現在はサイト閉鎖)。当時と比べると、現在は漆とロックの事業内容も多少変化している部分もありますが、活動の原点を語ったインタビューとなっていますので、記録も兼ねてこちらに転載します。
漆とロック・貝沼 航 インタビュー
『“漆”を通じて豊かさの「ものさし」を問い直す』
―伝統工芸の作り手(職人)の姿に惚れて起業
大学卒業後に就職がきっかけで会津に来たのですが、様々活動する中で、この地に残る伝統工芸に触れ、職人さんたちの工房にお邪魔させていただいたのが最初のきっかけでした。その時はかっこ良いとか、素晴らしいとか、単純な気持ちしかなかったんですが、学べば学ぶほど、会津の伝統工芸が抱える課題が分かってきたんです。中でも漆器は最も変革が起こりづらい状況に見えました。そもそも漆器が現代人の生活から離れてしまっているし、昔からの流通の慣習がアップデートできておらず古い体制が残ったまま。会津全体での漆の売り上げも、最盛期から比べて7分の1以下にまで落ち込んでいますし、職人の数もかなり減っていました。とにかく課題要因が絡み合っている産業なんですよね。でも、課題が多い分、取り組む価値が大きいと思うし、何とかチャレンジして「解き方」を見出していきたいなと思いました。と言っても、やっぱり漆そのものの魅力に引かれたというのが、動機としては一番大きいかもしれません。「なんで、こんな素敵で面白いものがなくなろうとしているんだろう?」というシンプルな思いが、やっぱり自分のベースにありますね。
―貝沼さんが語る、漆の魅力
皆さんあまり気づいていないかもしれないんですけど、漆はすごいですよ、本当に。自分が持っている「価値」の時間単位が変わってきますから。日本人の平均的な食器の買い替え年数は3~4年と言われているんですが、漆器は10年~15年くらいは最低でも使えますし、表面が傷んできても、塗り直しをすれば、新品同様に生まれ変わり、さらに長く使うことができます。購入する時の価格は、何千円もするので高いように思えますが、子の代・孫の代に渡っていいものを丁寧に使うことができるという時間とその豊かさを考えると、決して高くはないんです。それに、手仕事の漆器は使えば使うほど手になじんで美しさが増してくるのがいいですね。いい漆器は、自然に所作を丁寧にしてくれて、暮らしを静かにしてくれるものだと思います。
漆の器は、木の国である日本で、縄文時代の日本人が生み出した素晴らしい発明だと思います。
―漆器の時間軸は、地球のサイクルそのもの
漆器を作るには、1人の職人では出来ません。木材を器の形にする「木地師」、そこに漆を塗る「塗師」、そして装飾を施す「蒔絵師」という最低でも3工程の職人の手を経て、それぞれの職人が「手間ひま」をかけて完成します。また、漆塗りに使われる漆の液は、成長した漆の木の表面に傷をつけて採るのですが、1本の漆の木を育てるのに15年ほどかかります。この15年という時間は、暮らしの中で使い続けた漆器が、ちょうど塗り直しが必要になってくるタイミングとほとんど同じなんです。また、漆器の木地を採る木も、樹齢100年くらいのものを使いますが、漆器の耐用年数も同じくらいの時間です。塗り直しが必要になったときには、漆の木が育ち、新しい器が必要なったときには、ちょうどよく木が育っていることになります。つまり、漆器の時間軸は木材の成長サイクルとリンクしているんですよ。ですから、漆器を使うことは、自分の生活を地球のサイクルに近づけていくことにつながると言っていいかもしれません。
―3.11を体験したからこそ、取り戻すべき「不便さ」
東日本大震災の後よく考えるのは、私たちの追い求めてきた豊かさの「ものさし」についてです。私たちは、食べること、買うこと、使うこと、いろんなところで「便利さ」や「快適さ」を追い求めてきました。それが豊かさの尺度になっていた。ところが、その「便利さ」や「快適さ」の象徴のような原発が事故を起こしてして、こんなにもうろたえている僕たちがいる。大量生産・大量消費のシステムは、人と人とのつながりや時間の重みを排除することで効率化、合理化してきましたが、私たち自身、その便利さや快適さに誰も責任を負わずにやってきてしまった面があったと思うんです。そして、その問題が今こうして露になっている。ですから、震災後は特に「不便さを取り戻すこと」が大事だと考えるようになりました。不便さ、つまり「手間ひま」の価値を取り戻し、自分の中の豊かさの「ものさし」をもう一度作り直すことが大事なんじゃないかと。
―五感に訴える「テマヒマうつわ旅」
私が今取り組んでいる「テマヒマうつわ旅」という事業(※現在は事業終了しています)は、漆器の作り手に直接会いに行く旅のプログラムです。これは、趣旨に賛同してくださっている10程度の工房と共に取り組んでいます。職人さんの日常にお邪魔し、漆器づくりの様子を見学できたり、作り手と直接言葉を交わすことができます。この「対話」という要素を一番大事にしています。もちろん、作り手から直接器を購入したり、オーダーメイドの注文をすることもできます。その他、お客さんの要望に応じて、職人さん直伝の制作体験をしたり、市内の飲食店で漆器を使った食事もすることもできます。直接言葉を交わして、工房の雰囲気や木の香りを味わいながら、五感を使って「体験」していくことが、その人の「身体感覚」として記憶される。だから、旅が終わってそれぞれの生活の場に戻った後も、漆器を使う度に旅の記憶が甦って、職人の顔が思い浮かんだり、器に思いを寄せたりすることができるんだと思います。食器とそういう付き合いができるというのは「豊かさ」のひとつだと思うんですね。
―身体感覚を取り戻すことで狭まる距離感
参加した方からは「漆器がこれほどまでに面白いものだったとは」とか、「使うたびに職人さんの顔が思い浮かぶようになった」、「すばらしい映画を見終わったような充実感があった」などの声が上がります。やはり、身体感覚として記憶されているからだと思います。今までの大量生産・大量消費の流通構造では、使い手がものづくりの現場に行き、そこで身体感覚を得るなんてことはできませんでした。販売に至るまでに流通の高い壁が何重にもあって、作り手の顔や思いが見えにくくなっていたからです。逆に作り手の方も使い手の顔が見えなかった。この事業によって、その壁を壊していくことに切り込んでいきたいと思っていますし、テマヒマうつわ旅というチャレンジによって、作り手と使い手の距離を少しずつ縮めていくために必要なことが見えてきたかなと感じています。
―内省の時間を生み出す「うるしスイッチ」
テマヒマうつわ旅は、表面的に言えば「工房ツアー」なんですが、僕は決して観光サービスをやりたい訳ではないし、お客さんにとっても、この旅の時間は単なる楽しさだけではなくて、実は「内省」の時間になっているんだということを改めて感じています。ただ器のことを知るだけではなく、自分の生き方、そして豊かさとは何なのか、そんなことを考える時間になっているんです。僕はこれを「うるしスイッチ」と呼んでいます。ツアー中にこのスイッチが入ると、価値の基準についてもう一度考え直す静かな内省的な時間に変化していきます。それが起きるのは、50年、100年という「漆の時間軸」があるからこそなんです。
―会津、そして東北の豊かさとは
会津の冬は厳しく、たくさんの雪が降ります。雪が降る時期は、外に出ることができないので気持ちが内側に向いてくるんですが、それがまさに「内省」の時間になるんですね。そして、そういう冬の時間があるからこそ伝統工芸が生まれ、続いてきたんだと思います。以前、奥会津の方が「雪というのは豊かさそのものなんだ」とおっしゃっていました。雪があるから落葉があり、豊かな土壌ができ、その雪によって水資源がもたらされ、秋の実りが生まれるわけですよね。実は東北地方には縄文遺跡が多いんですが、縄文人はその豊かさを本能的に理解していたんだと思います。だって、現代人が生きにくいと思っている雪深い東北にこそ縄文人が生きてきたわけですから。
―「手間ひま」こそ、東北の醍醐味
僕の考える東北らしさもそういう「手間ひま」です。雪によって閉ざされながらも、その内省的な空間の中で脈々と手仕事が受け継がれてきました。そして、雪の恵みから米が作られ、そして酒が生まれる。その酒は、豊かな実りと人々を繋げてくれるわけです。そういう営みには大変な手間ひまがかかりますが、そういうことにこそ、「ものづくり」というか「生産する」ことの神髄が隠されているんだと思います。東北を旅するということは「暮らしの源流を辿ること」だと思うんですね。これは東北に限らず「地方」と言い換えてもいい。「地方」は、工芸品に限らず、人が生きるうえで必要なものをたくさん作ってきました。「作る」ということは生活の基盤を作ることです。しかし一方で、都市はそれを消費するだけになってしまっていた。つまり生産と消費が切り離されていたんだと思うんです。やはり、消費と生産をもっと近いものにして「みんなが作る人になる」ことを目指さないといけないと思うんですね。
―東北に満ちあふれている、サバイバル感
東北で震災が起きたということは、やはり日常が揺らいだということだと思います。そして日常が揺らぎ、これまでの便利や快適というシステムが崩れかけたときに、私たち人間が本来持っている「生存本能」というか「サバイバル感」が出てきていると思います。戦後の復興があれだけエネルギッシュだったのは、やっぱり厳しい時代を乗り越えようというむき出しのサバイバル感があったからだと思うんです。そして今、そのサバイバル感に溢れているのが東北です。便利な生活を失ってみて初めて出てくるような生存本能が東北には満ちあふれている。東北を訪れることで、私たちが失いかけている生存本能、自然に対する感覚、そして日常を問い直す感性を取り戻すことにつながると思います。
さらに言えば、「日本人の生き方をもう一度作り直す」ということを提案したいと考えています。福島にある東京の原発が事故を起こし、そこだけ見れば被災地ですが、そうではない、事故があったからこそ見つめ直したもの、そこから立ち上がってくる新しい価値があると思うんです。それが、私にとってはまさに「漆」です。漆が持つ力、そして職人さんたちの言葉は、私たちに新たな価値を示してくれると思っています。
―今の時代だからこそ発表した会津の本物ブランド「めぐる」
暗闇のソーシャルエンターテイメント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とのコラボレーションによって誕生した『めぐる』という漆器があります。視覚障がい者の女性たちが持っている指先の触覚、唇の感覚を「プロフェッショナルな感性」と捉え、ものづくりに活かしたものです。『めぐる』という名前は、使う人の家族の中でめぐっていくということ、そして使う人と作る人の間でめぐり続けることという2つの意味がこめられています。使い始めて15年後くらいに必要になるであろう漆の塗り直しは、職人のお弟子さんにお願いします。今のうちから15年後の仕事を作ることで、仕事がめぐっていくわけです。売り上げの一部は、漆の植樹のために寄付されるシステムにしました。これも、漆のある暮らしを次の世代にめぐらせていきたいからです。そして、お椀自体も、子の代、孫の代にまでめぐっていく。やはり漆器は商品があってこそ。魅力ある商品から広がる価値も伝えていきたいと思います。(「めぐる」公式サイト : https://meguru-urushi.com/ )
―Urushi is Rock!!
漆器は、一見すると想像できませんがとても「ロック」な存在です。効率や合理性を追い求める時代の波に流されない反骨精神、そして自然への畏敬の念が詰まっています。そんな漆の器に出会い直しに、会津にお越しください。また講演会やワークショップも開催しています。
漆とロックへのお問い合わせは、こちらのサイトから。