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森町と田貫湖

2023年10月1日(日)の夕方、かみさんと二人でわが家の小型キャンピングカー、ピクニック・ゲリラ号で出発し、東名高速に乗って西に向かった。

最近は新東名を使うことが多いので、東名高速に乗るのは本当に久しぶりである。以前に乗ったのは10年くらい前であるようだ。

出発したのが遅かったので、ぼちぼち夕飯の時間帯である。東名のSAやPAは、施設の充実度が限られるから、結局牧之原SAに寄ることにした。

そこで弁当を買い、車内で夕食。SAの混雑度はそれほどでもなかった。新東名のほうはもっと混んでいるだろうと思われた。新東名ばかり利用しているせいか、東名のほうはちょっと色褪せて見えるのは仕方がない。

新東名ではなくて東名に乗ったのは、掛川市内の友人のところに寄ってみようと思ったからだ。新東名の森・掛川ICだと、掛川市街地へは戻るような感じになってしまう。

掛川ICで降りたのもかなり久しぶり。東名のICは市街地にも近い。新東名は山の中を走っているから、市街地へのアクセスがよろしくないところが多いのだ。

友人N氏とコンタクトがとれたので、仕事の終わった店舗に寄らせてもらう。しばし歓談。あっという間に数時間が過ぎ、われわれは今日の泊地である森町に向かって再出発した。

日曜の夜ということもあるが、森町は圧倒的に静かだった。泊地に着いてコンビニに買い出しに行ったあと、寝る準備をする。もう暑くないし、いい感じで眠れた。

天竜浜名湖鉄道はのどかでいいね。

泊地のすぐそばに住んでいる昔の仕事仲間のS氏にショートメールを打ち、「今しがた森に着きました。おみやげもありますよ」と連絡したが、もう23時過ぎなので返答がない。まあいいや、明日に掛川の事務所でも寄ってみようと思う。

翌朝は7時30頃起床。ショートメールがS氏からあって、「まだ寝ているようだから、掛川に出発します」とのことだった。慌ててもしょうがないので、ゆっくりと起き出し、また近くにあるコンビニに行って朝飯を仕入れる。

車内の片付けをして、朝食を食らい、然るのちに掛川に向かって出発したのは10時半くらいだったろう。

S氏の事務所には11時過ぎ頃に着いた。昔世話になった仕事の関係者の方々がおられて、ご挨拶。今は旅と言えば、キャンピングカーのほうが主体になってしまっていることを説明する。はは、面目ない。

ここで清水のおみやげを手渡すが、反対に「柿が好きだったよね?」と言われる。去年も大量の干し柿をもらって狂喜したのだ。大好物なのである。え、今年も?と思わず見たら、今回も両手でないと持てないぐらいの干し柿の袋などを手渡され、大歓喜。ありがとね。しかしこんなに旨いものがよく冷蔵庫に残っているものだ、誰も食べようとしないのであろうかとも考えてしまった(笑)。

掛川を出発してからは、急ぐ旅でもなし、1号線とバイパスで東進する。静岡市も通り過ぎ、富士市に入ったところで、道の駅でそばの昼食をとった。全然期待していなかったものの、これが悪くはなかった。

それから富士市と富士宮市の市街地を抜け、田貫湖に向かう。昨年12月に訪れて以来行っていないので、鳥見をするつもりで向かったのである。

ところが着いてみれば、ほとんど小鳥の姿がない。季節の変わり目だからだろうか。いつもは田貫湖の南岸沿いに見られる、コゲラやシジュウカラやヤマガラなどの姿を見かけなかった。

代わりに多かったのは人。外国人観光客が多数湖岸に沿って歩いていた。富士山を入江越しに遠望する展望地で、スマホのシャッターを押すのを頼まれて会話すれば、流暢な日本語でそうとは分からなかったが、台湾から来た夫婦だった。コロナ禍が一段落したからだろうね。

田貫湖の西の入江から見た富士山。岸辺の一部は30年前よりも荒廃し、なんだかなあという感じになっている。

鳥の姿をあまり見かけないので、岸辺の遊歩道を右回りで歩き始めたら、「どうせなら一周してしまおう」ということになり、てくてくと歩き続けることになった。

昔あった桟橋の上から大きなニジマスをかけて逃げられたあたり。

バサー(バスを釣る人)も何人か見かけたが、釣れている気配はない。東側に回ったところで、アオサギの姿が望めた。マガモの類も何羽か見た。

1周したら、もう時刻は夕方近く。夕方になれば小鳥は現れるかなとも思ったが、その気配はない。ま、そういうときもあるだろうということで、田貫湖南岸を後にした。

途中富士宮の市街地でソースかつ丼を食べて夕食とした。最後は新富士ICから新東名に入り、清水庵原インターで降りた。



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