直線的時間から円環的時間へ
あれはまだ学校に上がる前の年齢だった。
その心魂的体験が、実際の現実的な経験と一致していたかどうかはわからない。最も強く残っているのは感情的ニュアンスを帯びていたこと自体であって、具体的に何かをした結果として、こんにちまで残存しているような思考的感情的体験を得たわけではないと思う。
夏の日だった。私は母に連れられて、おそらくは妹とも一緒に、海水浴場への道を歩いていた。バスの終点から先は、当時まだ舗装されていなかった海浜の道を歩き、砂州の先端の、内海側にある海水小屋を目指していた。
今もその道は残っている。子どもの頃、けっこう歩いたなと感じた道は、なんのことはない、今なら数分で通り抜けてしまう程度の道のりだ。
その道はほこりっぽく、白っぽく見えた。砂と土が混ざり合ったような地面は、夏の光に圧せられ、F3かF4の硬調印画紙に焼き付けられたハイキーのモノクロ写真のようだった。
傍らには黒松の木立が続いていたはずだが、それは記憶していない。曖昧な記憶の中に残存しているのは、ラムネの自動販売機のようなものがあったことだが、長じてからもラムネの自動販売機というものは見たことがないし、昭和40年頃にそういうものがあったかどうかも疑わしいので、これはどこかでイメージを混同してしまったのかもしれない。
いずれにしてもその映像は、麦わら帽子やラムネの瓶やビニールの浮き輪といった典型的な夏休みと海水浴の風物に刻印されたようなものに過ぎなかった。映像にとりたてて特別なものがあったわけではない。
道の先には、父の造船会社が夏の間だけ開いていた海水小屋があった。その記憶は薄いが、そこには、少なくとも2回以上の夏、訪れたことがあったはずだった。
季節が巡って、夏が再び戻ってくるのだ、と最初に気づいたのが、その頃の自分だった。おそらくは5歳くらいの頃。
その気づきと、海水小屋までの埃っぽい道を歩いた体験が同時のものだったかどうかは、まったく確証がない。
しかし少なくとも、私の記憶に残る最も「古い夏」は、その径路の映像に重なっている。だから、夏の巡りを知ったのは、それよりも後のことで、一年か二年か経ってからのことだったのかもしれない。
夏が再び巡って立ち現れるということに心底驚いたとすれば、それまでの自分は別種の時間を生きていたことになる。
つまりそこで、生きている時間の感覚が変わったということになる。それは非常に不可逆的な体験で、それまでの時間体系にもはや戻ることができないということを含んでいたと思う。
季節の繰り返しというものを知らなかった自分は、直線的時間を生きていたのであり、夏の甦りを知ってからは円環的時間に組み込まれたということになる。
大人の悟性でふつうに考えれば、円環的時間のほうが世界の豊かさにつながっているような印象を受けるが、幼かった私にはそのようには思えなかった。直線的な時間のほうがより根源的なもののような気がしていた。
発達心理学か児童心理学かのジャンル、あるいはもしかしたら文学的エッセイか何かで、私が体験したような時間感覚の転換や揺らぎを描写したものがあったような気がするが、今はそれとても判然としない。
ジョルジュ・プーレが名著「円環の変貌」で記したような、時間感覚の変遷や質的な変容は、何も文学的タームだけではなくて、個人のささやかな精神史の中でも起こっているのかもしれない。
書くことを始めた大学生の頃、「自分のテーマは時間だ」と生意気に考えていた。あの頃はまた名画座でよくリバイバルの洋画を見ていた。映画論を振りかざすつもりなど毛頭ないけれど、時間というものが最も手触りのあるようなものとして扱われるのは、文学よりは映画だろう。
文学における時間は、フィルムの運動やデジタルクロックとは異なって伸縮自在なものになるから、時間が抽象的なものになり、それでいいこともあれば、ぼけることもある。
直線的時間から円環的時間へと意識が移行するのは、発達や成長によってもたらされたものなのだろうが、それが未熟から完成への移行というようには、どうも自分には思えないのである。
幼児のほうが世界を理解している可能性は充分にあるだろう。永遠の夏を生きている意識は幼児のものであるかもしれないのだ。