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滅びゆくわが街

このところ昼メシは蕎麦を茹でることが多かったのだが、毎日蕎麦ばかり食べることにも飽きたので、きょうの昼は自転車で弁当を買いに行った。自宅から約3kmほど離れたマックスバリュである。

昔だったら歩いて5分のところにスーパーがあったのでそこで買うこともできたのだが、何年か前に閉店してしまった。そこの小さな商店街はほぼもう壊滅状態に近い。

滅びた小さな商店街を横切って、さらに先に進む。コンビニがあるけれど、今日はその気分じゃない。昨日もコンビニ弁当が夕食だったのだ。かみさんは高齢者である義母のお世話に実家に行っている。

県道は交通量が多いので、昔の街道筋を進むのだが、ここにもあまりひと気はない。ちょっと寂しい。ときどき自転車の学生さんが通りがかるのがせめてもの救いという感じだ。

街は昔、造船や窯業などの重厚長大産業が幅を利かせていて、その頃が経済的にももっとも潤っていた。1960年代から80年頃までだ。それからはともかく先細りなのだ。かつての活気はどこかへ消えてしまった。

目的のマックスバリュに着いたので、自転車(20インチのダホン号)を駐輪場に施錠して店内に入る。小ぶりの弁当とおにぎり1個と、あずきバーを2箱買って店を出る。

帰り道はその昔、重厚長大産業の社宅群が並んでいた辺りを通ってみるが、そこもすっかり変わり果て、社宅の建物はとうの昔に取り壊されて、今は新興の住宅地になっている。そこに、今風の新しい家並みが連なっている。

しかし人影はほとんど見ない。たまに見かける人影は高齢者であることが少なくない。若い人はどこへ行ってしまったんだろうと考えるが、まあきょうは平日、当然勤めに出ているんだろうな。アルビン・トフラーの説く産業化社会では、平均的な人は住むところと働くところが異なるのだ。しかしまた、そういう時代ももう終わりにさしかかっている。

にしても人を見ない。この街の人口はおそらく往時の半分以下になってしまったのではないかという気がする。ここだけ見ていると、日本の人口が1億あまりもあることなんて信じられないのだ。統計が本当のことのようには思われない。

私がティーンエイジャーだった頃、活気のある街にあふれ返っていたのは、当時の年齢40~50歳前後の大人たちであった。その世代の人たちの大半が今は鬼籍に入り、少子化で新しい人口は補填されない。街は寂しくなるわけだ。

新しい住宅地を抜け、小学校や大学や高校や短期大学校が連なるところを行く。さすがにここには少しばかり活気がある。クラスの数は以前よりだいぶ減っているのだろうけれど。

昔、官舎が建っていたところに通りかかると、建物の半分くらいは取り壊され、跡地には草がぼうぼうだ。残っている建物もあらかた空き家のようではある。有体に言って、ここだけ見ても人口は半減しているのだ。

しかしこれはもしかしたら、私の近所だけではなくて、日本の地方都市の世界に共通する現象なのかもしれない。人が消え、商店街が消え、やがて街が消える。ゴーストタウン化が始まっているのだ。

あなたの住んでいる街にはそういう現象は起きていないだろうか。

こんな写真をSNSに載せたら、「ミニベロって買い物袋を巻き込む心配が少ないので、買い物向きなのかもね」とコメントしてくれた友がいた。確かにそうかもしれない。


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白鳥和也/自転車文学研究室
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