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目と鼻の先の自然と野生

圧倒的な「自然と野生」は、人間の世界から遠いところにあることが多い。山岳や、海洋や、荒野や密林がそうであるように。

けれども、都市や郊外や田園のように人間に近しい環境の中にも自然と野生は入り込んでいる。

住宅地の片隅にある公園の木立ちの中にシジュウカラが群れていたり、高層マンションの窓辺にイソヒヨドリが翼を休めたり、交通量の多い国道の脇の内海で画像のコトヒキのような魚が何種類も釣れたりする。

あまり好まれないカメムシやヤブカやゴキブリだって、立派な自然と野生の産物である。家の中にも自然と野生は入り込んでいるのだ。

ハンターや釣り人以外には普段あまり意識することのない「狩猟本能」だが、『裸のサル』という名著のあるデズモンド・モリスは、『「裸のサル」の幸福論』という本の中で、いかにこの狩猟本能が人間の幸福感と密接に結びついているかを説いている。狩猟の対象は何も野生生物ばかりではなく、家から外に出掛けていって獲得するさまざまな有形無形のものがそうであると言っている。

そんなことを書いていたら、外で「ギューイ、ギューイ」という鳴き声がして、オナガが飛来した。そのうちにジョウビタキも近くの電線に止まった。

バードウォッチングに興味のない人にとっては、識別できる野鳥はスズメとツバメとカラスぐらいしかないが(私もかつてはそうだった)、ちょっと観察するようになると、意外に多彩な野鳥が身の回りにいるのが分かる。アオバズクのようなフクロウの仲間や、コゲラのようなキツツキ類も、街外れの鎮守の森や木立の中にいるのである。

また釣り人は、そのあたりの海辺に驚くほど多様な魚類が生息しているのをよく知っている。中にはオコゼやゴンズイやアイゴのように危険な毒を持つものもあり、フグ類も危ないことは言うまでもない。自然と野生の脅威はそんなところにも存在している。

人間は大都市のように人間生活にとって便利な環境を創り出して、そこに安住しているようにも見えないことないが、実際にはそこにも自然と野生がしぶとく侵入している。ネズミ、カラス、その他もろもろ。

今は人間優勢のバランスが保たれているが、ひとたび環境の急激な変化が起これば、それがいつまで続くかは分からない。自然と野生は我々のすぐそばにあり、いつでも人間を脅かす準備が出来ているのだ。


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白鳥和也/自転車文学研究室
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