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宇宙的時節に思うこと
すべては変化する。変化は旅とも言い換えることができるかもしれない。われわれの意識はこの3次元の現実におおむね焦点を合わせているけれども、たとえば小説のようなものはそもそも虚構であり、現実によく似ているが現実ではないわけであって、4次元以上の時空にあると言って無理はないだろう。
多次元は彼岸ではなくて、目の前にある。世界はヒエラルキアというよりレイヤーなのだ。
より高次な宇宙も案外すぐそこにある。現実のありきたりのテーブルの上に、小説本が置かれているように。
われわれの意識はわれわれが思っているよりもはるかに柔軟なのかもしれない。漫画のキャラクターというのは、実際の人間からかけ離れた描写になっていることが多い。尖った鼻や、やたら大きい目、現実の横顔ではありえないところについている口、等々。
それでもそれが人間に見え、あまつさえ、現実の人間よりも美しく、人間らしく見えたりするのは、まったくもって不思議である。抽象化が行われているはずなのに、それに付随する印象や感情は、ときに現実よりも増幅されている。
もしかしたら、漫画を読めるということ自体、人間の特別な共感能力の証左なのかもしれない。
あらゆる時代が過渡期であるのかもしれないけれど、1960年頃に生まれたわれわれの世代は、夥しい変化の中を生きてきた。
宇宙からの新しいエネルギー流入は1970年代には起こっているという見方もあり、それが指数関数的に上昇してきたのが2012年以降の世界と言われている。
じゃあ具体的にどうなったんだという問いには答えにくいものの、世相よりもむしろ個人の内的な世界の中でより大きな変化が体験されているのではないかという気がする。
なにかポジティブなことに関して、人々の意識が集約的に作用するというようなことは、近年、より目立つようになってきたし、共時性現象のようなものも明らかに増えた。
相変わらず敵が必要な人々もいないではないが、世界はもう戦争や闘争にはうんざりしている。
経済的勝者になろうとする競争も、結局は椅子とりゲームのようにしか見えない。新しいビジネスモデルでいかに成功するか、のような話はいくらでもそこいらに転がっているけれども、それも際限なく続けなければならないゲームのように見えてしまう。
誰かが良いほうの席に座る、誰かが良い席を大量に独り占めする、というパラダイムがもう廃れかけているのだ。
太陽が万人に等しくそのエネルギーを注ぐからといって、宇宙は共産主義的で良くない、と言う人はいないだろう。経済の本質はむしろ野生動物のほうが精通しているのかもしれない。オキアミを食べるクジラに自然は請求書など回したりはしない。
新しいポジティブなエネルギーは、これまで蓄積されたネガティブな汚泥を洗い出す<好転反応>を引き起こすから、当面は過去に行われたことの暴露が続くだろうが、やがてはポジティブな外的変化がはっきりと形をとり始めると考えられる。
それはおそらくわれわれの意識のあり方とシンクロするだろう。われわれの集合的意識はこれまで、メディアや教育によって、そうとは意識させずにそのエネルギーを限定的なものに抑制されてきたが、その頚木は外されつつある。
映画『マトリックス』で、主人公のネオが、眠りを司る存在の名称でもあるモーフィアスに、もとの生活に戻るための青いピルを飲むか、真実を知るための赤いピルを飲むか問われる有名なシーンがあるが、これは今、人類全体につきつけられた問いでもあると言える。
全員ではないにせよ、人類の多くは、これから赤いピルを飲む選択をするだろう。
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