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消えゆく小さな宿

自転車の旅に独りでよく出掛けていた頃、泊る宿は小さな宿が好みだった。輪行で大距離を移動したあとの最初の一泊などは、駅に近いところのリーズナブルなビジネスホテルにすることがほとんどだったが、次の日から自転車での走行を開始して、走って辿り着く宿は、個人経営の小さな宿が多かった。

自転車で旅を続ける途中で泊るところは、大きな駅が最寄りのところや都市部は避けた。市街地やホテルは何かと面倒だったりするし、賑やかな場所は落ち着かなかった。できるだけ静かなところに泊まりたかったので、急行や特急が停車するような駅は避けて、宿が見つかる程度には街になっている小さな駅を選んだ。有名な観光地ももちろん避けた。

たとえば東北本線の仙台から盛岡のあいだだったら、一関(いちのせき)が知られた駅だが、その辺りを走ったときも、一関ではなく、隣の山ノ目という小さな駅のそばに泊まった。

そういうローカルな駅のそばにある旅館は、多くの場合、従業員がたくさんいるような旅館ではなく、数人もしくはおかみさん一人で切り盛りしているような小さな宿である。それが私の好みにあった。だいたい、観光地や都市部の旅館は料金も高いし、自転車も玄関には入れられないようなところが多いのだ。

おかみさんが一人でやっているような宿は、ご主人が別の仕事をしていて、半ば副業的に経営している場合が多い。宿に豪華さや美食を求める人には向かないが、私のような気ままな貧乏旅行者にはちょうど良かった。なんといっても気楽なのだ。自転車もそのまま玄関に入れさせてもらえることがほとんどだった。

そういう宿をどうして見つけるのかと言うと、昔は、「時刻表」ならぬ「宿泊表」というものがあり、全国の津々浦々の宿がこれに載っていた。最寄り駅で括られた中に、一人一泊二食の料金の目安や、駅からの距離、宿の特色などが記されていた。「宿泊表」一冊を持ってゆくのは荷物になるから、自分が走る予定のところだけ切り抜いて携行するのだ。

そして昼食も終わった頃の昼下がりに、目安をつけた宿に電話をかけるのである。当時はまだ携帯なんてものも一般的ではなかったから、公衆電話からかけるのだ。それで、おばちゃんの声がすると、しめたと思うのである。一人なんですけど今日一泊いいですか、と尋ねる。これで断られることはほとんどないが、続けて到着の時間の目安を言う。じゃあお待ちしていますと相手が言ってくれたとこで、自転車なので少し遅れる場合があるかもしれないと付け加える。そんなやり方だった。

でもこれで宿にあぶれたことは一度もない。ぎりぎり泊れたということはあったけれど、いつも大丈夫だったのだ。その頃は小さな宿がいっぱいあった。昔の商人宿や民宿の名残だったのかもしれない。

いくつも忘れられない宿があったけれど、特に印象的だった二つの宿がある。一つは青森の十三湖のそばにある十三(とさ)の旅館で、ここもおかみさんが一人でやっていた。青森駅そばのビジネスホテルを朝に出て、竜飛崎経由で約120kmを走り、夕刻に辿り着いた宿だった。宿の二階は私に貸し切りのようなもので、二階の窓からはさきほど走ってきた竜泊ラインの山々とともに、日本海と十三湖のあいだにある細長い潟湖を望むことができた。

もう一つの宿は、日本有数のローカル線である只見線の福島県側にある、会津川口という駅のほとりに位置している小さな民宿で、ここはぎりぎり泊れた宿でもある。夕刻に会津川口の駅前に辿り着いたが、旅館はきょうは営業していないというし、弱ったなと思ってそこいらをうろついているうちに民宿の看板が目に入った。宿泊表なんかには出ていない宿であった。ここはおばあちゃんが一人でやっていた。宿の裏手は只見川と只見線。暗くなった頃に入線してくる各駅停車をじっくりと眺めることができた。

個人経営の宿の良いところは、おかみさんなりおばあちゃんなりに、その土地の様子などを聞けるということでもある。話ができるというのは、一人旅の旅人には貴重なことなのである。ビジネスホテルのカウンターで世間話をするわけにはいかないのだ。

やや大きな旅館ではあったが、秋田の鷹巣に泊まったときも、駅の比較的そばのその旅館の人に親切にしてもらった。夕立に降り込められてスニーカーもびしょ濡れだったのを、すぐに新聞紙を丸めた物をスニーカーの中に入れてくれたのであった。

そういうことを思い返しながら、ときどき、ストリートビューでかつて泊った宿を探してみたりする。平成になって間もないと思っていた時代は、いつのまにか令和に変わり、「宿泊表」なんていう定期刊行物も消え去った。今は宿は電話さえかける必要もなく、スマホでネット予約できる時代なのだ。

だが、平成の途中からホテルブームになり、何でもかんでもシステム化されるようになって、気のいいおばちゃんが一人でやっているような宿は淘汰されてしまった。消え去ってしまったのである。私自身、この10年くらいは旅は車中泊でやることが大半になり、小さな宿泊業を応援することもなくなっていた。

青森の十三湖の宿は廃業してしまったようだし、会津川口の民宿からは看板がなくなっていた。おばあちゃんは亡くなったのであろう。小さな居心地の良い宿が全国から消えてゆくのは残念なことだが、車中泊主体で旅をするようになった自分にも、その責任の一端はある。

自転車の旅が面白かった時代は、小さな宿がたくさんあった時代でもあった。パターソンの画集にもそんな絵がある。



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