『アサヒカメラ』
『アサヒカメラ』誌が休刊になる、と報じられた。いよいよそういう日が来たかという気もする。
とはいえ、もう20年くらい買っていないのだから、いまさら熱心な愛読者のような顔をするわけにもいかない。よく購読していたのは銀塩写真に夢中になっていた1990年代後半頃だった。
その当時はモノクロの暗室作業も自分でやっていたし、カラーはリバーサルで撮っていた。『アサヒカメラ』月例の投稿コーナーに応募して、3度ほど自作が掲載されたこともある。
中古カメラ店の広告の羅列も魅力的で、食い入るように読み込んだものだった。興味のあるボディやレンズのテスト記事などは、県立図書館まで行ってバックナンバーをコピーしたことが懐かしい。
対抗馬の『日本カメラ』も買ったことはあったが、自分としては『アサヒカメラ』のほうが性に合っていた。表紙のレイアウトもバランスが良かったし。
重い、質量のある雑誌だった。画像主体の紙面だから、薄い紙を使うと裏側が透けてしまう。勢い、厚手の紙を使わざるを得なかったので、重くならざるを得なかったのであろう。うちに残っている雑誌で、『アサヒカメラ』よりも重いのは、昔の『カーグラフィック』ぐらいのものだ。
そのことはつまり、写真が印刷媒体と不可分のものであった時代の象徴とも言える。印刷媒体が広く衰退し、映像が紙の上からモニターの中のものに変化した時代そのものが、「写真雑誌」を不要のものとしたのかもしれない。
「写真=紙媒体(印刷物)」という不文律が消失してしまった時代には、重い写真雑誌、カメラ雑誌を手にする人も、著しく減ってしまったのだろう。
雑誌が休刊するのは寂しいことでもあるが、経済的に存続するために当初のポリシーを失ってまったく違う誌面になってしまった雑誌を見るのは、もっと哀しい。
そんな風になってしまうのなら、銀塩時代の栄光のテイストを残したまま、消えていくほうが良いのかもしれない。
『アサヒカメラ』よ、ありがとう。お世話になりました。