双眼鏡に昂ぶる
双眼鏡は面白い。しかし、愛用者は限られる。同じ光学機器であるカメラに比べてもずいぶん少ない印象だ。天体望遠鏡の愛用者よりは多いのかもしれないが。
近頃はカメラも多くの場合スマホが代用しているので、シリアスに写真を撮る人でなければミラーレスや一眼のデジタルカメラを使い込んでいる人は少ない。コンデジは、ご承知のようにスマホにとって代わられ、今はごく限られたモデルしか市場に存在していない。数えたことはないが、もしかしたら今では双眼鏡のほうがモデル数が多いのかもしれない。
が、双眼鏡に関する知識は、カメラに関するそれほど世の中には普及していない。それはとりも直さず、人々の双眼鏡に対する関心の度合いが低いからかもしれない。カメラが多くの場合「記録」という役割を果たすことによって、人生の必需品となっていることと違うのである。
双眼鏡はごく特殊なものを除けば、見た映像の「記録」はできない。カメラが瞬間を切り取ることによって、時間の外側に至るというような一種超越的な客観性を得ているのとは異なり、双眼鏡はむしろその対象物と一体化するような視覚的感動を生む。記録するとすれば、それは意識の中に生ずる記憶というメモリーなのだ。
まあそういうやや哲学的な道具論/インターフェース論はさておくとしても、双眼鏡は近代の産物に比べて、より多次元的な視覚をもたらしてくれる印象がある。望遠鏡の発明は17世紀ぐらいまで遡ることができるのだ。
双眼鏡は多くの場合、人々の関心外にあるものだが、これを保有する人にとってはなかなかの稼働率を誇る。今日び、たいがいの写真はスマホで事足りるので、遠くにある何かをよく見ようと思ったときには、すぐに双眼鏡の出番がやってくるのだ。
双眼鏡というと、多くの人は眺めの良い場所から風景を眺めたり、イベントやステージで観客席から舞台やスポーツフィールドを見たり、バード・ウォッチングで鳥を探したりすることがその役割だと思っているけれど、それ以外にも楽しめる要素は数多くある。
例えば星見。一般の人は星を見るというと天体望遠鏡をすぐ想起するけれど、天体望遠鏡は像が倒立ということもあって、いささか特殊なのである。ちゃんと同じ星を見続けるには、赤道儀みたいなオプションも必要になる。
特定の惑星ではなく、広く星空を見たいというような場合には、双眼鏡のほうが都合がいい。やってみると分かるが、良く晴れた日に星空を双眼鏡で探索すると、肉眼で見ているよりずっと多くの星が視野に入ってきて感激する。2等星ぐらいまでしか見えないところでも、双眼鏡を使えば4等星ぐらいの星まで見ることができるのだ。
つまり圧倒的に多くの星が見える。双眼鏡には光を増幅するような効果があるからだ。太陽を決して見てはいけないのも同じ理由からである。光の点である遠くの恒星だけでなく、月も鮮明に見え、名前のついた大きなクレーターを立体的に観ることができる。月食などの天体イベントも楽しめる。
個人的に今まででいちばん感動したのは、ぼんやりとではあるが、アンドロメダ星雲を初めて双眼鏡で発見したときである。だいたい満月くらいの大きさがあるのだ。相当に条件の良いところでないと、肉眼でアンドロメダ星雲を見いだすのは難しい。だが、双眼鏡を使えば、3等星がやっと見えるか見えないかぐらいの星空でも、アンドロメダ星雲を見つけることができた。
ほかにも双眼鏡の愉しみはある。こないだも市内の国際貿易港に大型客船が入ってきたが、埠頭にある展望デッキから、客船への荷物の搬入口を見ていたら、レタスとか飲料とかの箱がどんどん運び入れられているのが見えた。もちろん箱に書いてある銘柄まで分かる。
こんな風に書くと、双眼鏡は倍率が高いものがいいと考えられがちであるが、そこにはけっこうな落とし穴がある。最近ではあまり見ないようだが、以前には倍率が何十倍というような安物のズーム双眼鏡が新聞広告によく掲載されていたようだ。
はっきり言ってそういうものは使いものにならない。人々の双眼鏡に対する無知をいいことにビジネスをしようとしているものだと言っても過言ではないだろう。
一般的に言って、使いやすい双眼鏡の倍率は、6倍から8倍である。カタログにはよく10倍のものもラインナップされているが、倍率が高くなると手振れを起こしやすくなり、また対象物の見える範囲が狭まるため、実際には使いにくい。12倍以上は三脚がないと使えないと言われている。
双眼鏡にはよく6×30とか、8×30、8×42のような数値が書き込まれており、この前の数値は倍率、後ろのほうの2桁の数字は口径を表している。8×30というのは、8倍の倍率で、口径は30mmだということなのだ。
軍用の双眼鏡の場合、陸軍では6×30または6×24、海軍では7×50がよく使われたようである。いずれも倍率は6倍ないし7倍なのであって、こんにち標準的な倍率である8倍よりも低い。戦場は生命に関わる闘争を行うところであるから、相手がどのような火器を持ち、どの程度の距離にあるのかを瞬時に把握する必要がある。手振れなどを起こしていたら、即情報収集に支障が出る。
そういう状況でも6倍ないし7倍で良かったということは、双眼鏡の適正な倍率を考える上で大きな参考になるだろう。命がけの現場でも、10倍や12倍の高倍率は必要とされなかったのである。倍率が高ければ高いほど、見える範囲は狭まるから、状況判断的には不利になるのである。
同じ倍率でも、双眼鏡の光学設計によって、見える範囲の大小がある。このあたりも双眼鏡を選ぶ上でのポイントとなる。「広視界」とされる双眼鏡を選んだほうが使い勝手がいいのは言うまでもない。鳥見などの際は、まず肉眼で鳥を見つけ、その鳥のいるところに双眼鏡の視野を合わせるのだが、慣れるまで、これがけっこう難しいのである。視野が広いほうが楽なのは当然である。
双眼鏡の口径もまた、その光学性能に大きな影響を与える。同じ倍率なら、口径の大きい双眼鏡のほうが視野は明るい。また解像度なども優れることが多い。8×30よりも、8×42のほうが明るい。口径が同じなら、倍率の低いほうが視野は明るい。6×30のほうが、8×30よりも明るい。
ただし、口径が大きくなるということは、それだけレンズや鏡胴も大きくなるので、双眼鏡全体の質量は大きくなる。重くなるのである。6×30や8×30はいわば中型の双眼鏡で、重量も比較的軽く、首から下げることも苦にならない。これが8×42ぐらいになると、鏡胴の材質にもよるが、大きく重くなり、軽快さは失われる。ただし、視野は明るいので、特に星見などには都合がいい。
口径が25mm以下の小型の双眼鏡もけっこう種類があり、かなりコンパクトで軽いが光学性能的には厳しくなる。旅行用や観劇用などと考えたほうが良いかもしれない。
眼鏡をかけている人は、アイレリーフ(アイポイント)の数値にもよくよく注意したほうが良い。これは、瞳と光学系の間の距離に関するスペックで、眼鏡使用者は、この数値が15mm以上のものを選ぶべきである。そうしないと、眼鏡をかけたまま双眼鏡を覗いた場合、像の一部がケラれて見えなくなる。逆に、眼鏡をかけていない人は、20mmに達するようなものはかえって見づらくなるので避けたほうが良いようだ。
防水仕様・防曇仕様になっていることも重要だ。「雨の日は見ないからいいよ」ということではない。野外には夜露というものがあり、長時間星見をしていると、レンズが湿気を帯びてしまう。防水仕様のものなら、光学機器の大敵であるカビもある程度は防ぐことができる。
双眼鏡はその光学系で大きく二つに分かれる。一つは、対物レンズから接眼レンズまでが一直線になっているもので、これは「ダハプリズム方式」と呼ばれる。一見するとプリズムが入っていないようだが、実は相当複雑な光路を通るようにダハプリズムというものが使われている。外観デザイン的にもすっきりしているのだが、光学系が複雑なために、性能を上げるためにはコストがかかる。つまり、最近主流の方式だが、低価格帯のものは避けたほうが良いということである。
もう一つは、古典的な屈折光学系が封入されていることが明らかな「ポロプリズム方式」である。多くの人がイメージする双眼鏡とはこちらのタイプである。ポロプリズム方式はダハプリズム方式よりもどうしても双眼鏡全体の大きさが増すという欠点があるが、光学系に無理がないので、比較的廉価な価格帯のものでも良い映像が得られることが多い。なお、プリズムには、Bak4と呼ばれるものと、Bk7と呼ばれるものがあるが、前者のほうがより優れた光学性能を発揮する。後者は入門機や普及価格帯で採用されることが多い。
双眼鏡価格の目安として、1万円前後は入門機・普及機であるが、中にはコスパの良いものもある。2万円ぐらいまで予算があれば、中級機が買えるので、肉眼よりも美しい像を愉しむことができるだろう。鳥見のベテランや一生飽きの来ない光学性能を求める向きは、4~5万円以上のものを購入するようだ。そして超高級品は青天井である。カール・ツアイスなどはまだ安いほうで、スワロフスキーなどが目が飛び出そうな価格だ。国産で人気のあるメーカーはニコンだが、個性的な機種を求める人はコーワや日の出光学の製品も検討する。
最初から良いものを買うのももちろんありだが、ステップアップも愉しいかもしれない。双眼鏡は一家に一台ではなく、一人一台だから、自分が卒業した双眼鏡を家族に譲るのも一手だし、余っている双眼鏡があれば、鳥見などに初心者を誘うときに貸して上げることもできる。双眼鏡の世界は愉しい。だから仲間を増やしたいと思うのである。
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