50数年前の梅雨について
50数年前の梅雨の頃、私は10歳ぐらいの小学生だった。梅雨が来るのはうれしかった。雨降りそのものはいやだが、その頃になると、回りでいろんな生きものが活動を始めるからだ。もう、本格的な夏まであと一歩のところだった。
学校が終わるか早いか、虫取りに出掛けた。当時は今と違い、そこいらじゅうどこでも生きものの気配が濃厚で、アジサイの花のそばにはなんとかマイマイと呼ばれる日本産のカタツムリが闊歩していた。アジサイとカタツムリと言えば、梅雨を象徴する図案だけれども、いまの日本でそういう風景を見たことのある子供たちがどれくらいいるのだろうか。少なくとも、都市近郊ではこういう情景はもはやほとんど見ることができない。カタツムリはいろんな影響で衰退し、今見られるのは外来種だということを聞いたことがある。
※カタツムリには人体に悪影響を及ぼす寄生虫がいることがあるとかで、さわらない方がいいらしい。這ったあとの粘液にも寄生虫がいることがあるらしい。
梅雨も終わりごろに近づくと、ニイニイゼミが歌を歌い始め、コガネムシなどの甲虫類も盛んにあたりを飛び回るようになる。生きものの気配があちこちで濃厚だったのである。
だいたい、空気の匂いが今と全然違っていた。新緑が濃くなった木々の葉が、雨に濡れて特有の匂いを放っていた。胸が切なくなるような匂いだったのだが、そういう匂いは今の郊外には希薄だ。高原の森の中のキャンプ場に行けば嗅ぐことのできるような匂いが、当時は街はずれの木立の中にも蔓延していたのであった。
そういう匂いが消えてしまったのは、いったいなぜなのか。あの頃の空気の中にあった、一種の「野生」が今はどこにもない。管理された巨大な空調システムの中に街や郊外がすっぽり入ってしまっているかのような感じがする。
それとも、単に自分が齢をとって、あの頃持っていた嗅覚や感受性を失ってしまったからなのか。私には分からない。どうしたって、分からない。
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