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3次元世界の中の多次元的世界
この世は「3次元」ということで概ね了解されている。X軸、Y軸、Z軸による3次元座標で位置関係が決定する世界、ということだろう。
しかしその境界線は、晴れた日に夜空を見上げただけで揺らぐ。
夜空に瞬く星の光は、すべて「現在」に属しているわけではない。
太陽系内の肉眼で見える惑星ですら、地球にその反射光が届くまで数十分かかるものがある。
ましてや、恒星など、近いものでも約4.3光年、シリウスは約8.6光年、北極星は約432光年、プレアデス星団(すばる)は約443光年、オリオン座で最も明るいリゲルは約862光年。白鳥座のデネブは約1411光年。
われわれが見ている明るい恒星の光は数世紀以上も前にその星を発したものが少なくないということだ。
銀河系宇宙外の天体を加えると、距離感はさらに広がる。
大マゼラン雲は16.3万光年、アンドロメダ銀河は254万光年前後ときているが、これでも銀河系宇宙に最も近い銀河だ。
つまり夜空には、250万年前の光と、1000年くらい前の光と、数十分前の光が同時に現れているわけで、その点では時間という要素が入っているから4次元的であると言える。
夜空というありふれたものを見るだけでも、時間と空間の枠組みはかなり揺らいでいることが理解できる。
3次元なんて、実はけっこう限られた世界なのかもしれない。
しかし星空のように、日常生活空間から遠い世界の中だけに多次元的世界があるのかというと、それもまた違うだろう。
人間の意識活動は明らかに3次元的ではない。
夢などは典型的だけれども、目覚めた意識もまた3次元の枠組みには収まらないような活動を続けている。
絵画や写真は全体としては平面だが、そこに3次元の情報が入っていて、遠近法のような転換システムによって2次元内にうまく同化するようになっていると指摘されている。
そのように意識もまた、4次元以上の多次元時空をなんとか器用に折り畳んで、3次元の世界観の中である程度読めるようなフォーマットに翻訳しているのではないかと考えられる。
時折その接続がダイナミックに展開するときは、直観や予知、シンクロニシティというかたちで現出するのではないかと思われる。
だいたいが、小説なんてものも多次元的なのであって、書き手も読み手も、意識の中に別の時空を作り上げてゆく。
その道具立てがリアルなものであったとしても、虚構である以上、それは多次元的であるとしか思われない。
紀行文のようなものであっても、現実の地理や地域を描写しながら、現実とは違う時空をそこに再構成している。
そして小説にしても紀行文にしても、少なからざる人がそのような言語世界に熱中し、また熱望するということは、単に登場人物の運命や筋立てや回想の成り行きがどうなるかということにとどまらず、多次元世界そのものの中に何か人心にとって必要なものがあるからではないのか。
そう考えてくると、小説とか文芸とかアートとかというものは、この限定された3次元世界と多次元世界を相互作用的に関係付けるための一種のインターフェイスとみることもできるし、またその境界を超えて旅することのできる乗り物とみることもできるだろう。
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