【徒然なるままに】#3
スズキ/ハモンドの鍵盤ハーモニカを最初にレコーディングで使ったのは十年前くらいだったか。元鼓童の和太鼓奏者、金子竜太郎さんとアルバムを一緒に作ったときに結構いろんな曲で使ったのだった。この鍵盤ハーモニカの音色はけっこう気に入っていて、メインメロディ以外にも、笙のようなイメージで使った。
来年2月に行うライブには、ギタリストが参加してくださるので、曲によっては僕がピアノでコードを弾かずにギターにお願いして鍵盤ハーモニカを使う、というのも面白いかもしれない。伸びやかな音で何ができるか。普段演奏している曲でもいろいろできそうだ。
人前で何かを表現する、ということがたまに恥ずかしいと思うことがある。作品を作るのは好き、というよりも、頼まれなくてもいくらでも作ってしまう、という具合なわけで、それが好きなのかどうかということをあまり考えていないが、人前で何かをする、ということには永遠に慣れないだろう。いや、あまり慣れてはいけないように思う。
そんな、漠然と考えていたことに『言葉と歩く日記』は素敵なヒントをくれる。
『初めて他人に向かって自作を声に出して読む時は、少し動揺し、読み方までよろめく。自分が書いたものがそういう形で外界にさらされることに対する驚きが毎回ある』
詩人でもある多和田さんの言葉には説得力がある。
『自作朗読とは、自分が他人になる瞬間なのかもしれない。朗読はどこか「くさい」、「恥ずかしい」と言う人は、自分の書いたテキストに対して他人になりきれないのかもしれない』
なるほど、と思った。そうかもしれない。
即興演奏に関しては、割と自然体でやっているように思う。その場で作曲する、という作業なので、そちらに意識が行くのが良いのかもしれない。それでも人の前で演奏するので意識をしないということはない。一人でその場を作っているわけではないのだと思った。当然の話なのだけれど。
作品を届ける、という意識は自作にも適用される。それができている人たちは、自作も大事にしているのだろう。そんな意識で演奏をする、というのは、今更と言われそうだが、何かを大事に届ける、という意味合いで素敵なことだと思った。
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