こんにゃく湿布、アゲイン 515
昨日、突然の右足の痛みのためイレギュラーでやったこんにゃく湿布。
おかげでふくらはぎの痛みもずいぶん軽くなったし、改めてこんにゃく湿布のありがたみを味わったのだけど、そのことを話していたら旦那さんが「明日もやったら?」なんて軽く言う。
「明日も朝にねー、いいかもねー」なんてこちらも冗談半分、いや半分以上で答えながら「なるほど…」なんて頭に残っていた。
いや、残っていたなんて言ってもそんなガッツリ「明日の朝もやるぞーーー!」みたいな勢いなんてもちろんなくて、「いや、眠かったら寝るよね…」くらいのぼんやりしたものだった。
さて、夜が明けて本日の早朝…
相変わらず結構な音量の「にゃーーんっ!」という力強い猫の鳴き声に起こされ、ご飯を補充しに起きたのだけど。
ふくらはぎのことなんてさっぱり頭から抜け落ちていたにも関わらず(なので、今朝の自分のふくらはぎの痛みを確認していなくて、痛かったのかどうかわかっていない)なぜだかやっぱり頭には残っていた「こんにゃく湿布」。
昨日のゆったり時間のおかげか、起き抜けの体も軽くて「あ、この感じならできるかも…」とスルッと思えたので、猫のご飯を補充しながらそのままこんにゃくを茹で始めた。
「朝、こんにゃく湿布する日が来るとはなー
しかも自分になー」
なんて思う自分に、「そうだよねー、するならまず人に先にしてからだよねー」みたいな同調も今更なく、「いや、そのために早起きって…」みたいな損得味のある面倒くささコメントもなく、「いやほんま、こんな日が来たねぇ、おもろいねぇ…」なんて思いながら準備をしていた。
やってみると本当に「ただそれだけ」だった。
というか「たいへん」「面倒」「時間が…」「しんどい」みたいな、やる前によく浮かぶそれはただ「やったことがなかっただけ」が理由で浮かんでいたことで、「そのもの」ではなかったことがよくわかった。
そして、もうひとつ。
最近の目のしんどさが辛くて何か和らげる方法を探していた時、ひまし油のことを思い出し目の周りに塗って数日様子をみていたのだけど、塗るだけでも何やらスッキリするように感じ感触がよかったので、自分の中で再びひまし油の存在がグッとスポットライトを浴びるようになっていたタイミングだった。
ひまし油との出会いは数年前で、雑誌でエドガー・ケイシーのひまし油湿布を知り、やっていたことがあったのだけど、そちらも時間や日にち(こちらは連続◯日湿布をして、数日あけて…を3週間繰り返してワンセット、みたいなざっくりルールがあった)をプレッシャーに感じて遠のいていた。
ひまし油湿布のガイドには、そんなのすでに折り込み済みで
「時間が取れないといういう方は、頑張って1時間早起きしてオイルの湿布を装着、そのまま続けてもう1時間就寝してみてください」
なんてアドバイスもしっかり書いてくれていたのを思い出す。
それが今日、こんにゃく湿布をしながらわかるわけです…
「なんだ…からだにくっつけてるものが『こんにゃく』か『ひまし油』かの違いだけやん」と。
「そう、それ(ひまし油湿布)もできちゃうってことなのよ、わたし」と。
いやいや「やってみるとこんな感じなんだ」ってことがわかるって、手っ取り早いというか…いいもんだ、なんて今頃しみじみ味わってみたりして。
もちろん、今回の早起き→こんにゃく湿布がいわゆる今の自分の「快」と繋がったからそう思えただけで、「不快」や「苦手」だったらブースカ言ったかもしれない。
でもブースカ言ったにしても、それが今の自分にとっては「いや」なことなのだって確認になるわけだから、悪いことばかりじゃないしさっさと次に行けばいいという「進み」でもあったりする。
ちなみに、朝からこんにゃく湿布をした今日は一日中体が軽く、特に上半身の楽な感覚は「こんなに楽なんだ」とうれしくなるほどで、朝のこんにゃく湿布の効用はこういうこともあるんだ…と新発見でもあった。
突然の痛みからスタートした経験だったけど、なんだか動くと色々思わぬことがわかっておもしろいもんだなーなんて、今更ながら思ったのでした。