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かたまり方にも種類があって… 614
「猫の後ろ足がちょっと内股っぽく見えるところがこの上なくかわいいんだよなぁ…」なんて思いながら、こういうことをなんで昨日の「猫の日」に書かなかったんだ?と過ぎてみて気づくのだけど。
足といえば、最近ハマっている足ツボで気づいたことがある。
というのも、最初は押した時の痛みだったり、ゴリゴリいう感触に目を奪われていたけれど、何回か押しているうちに痛くはあれど慣れてきて、それまで見えてなかったことが目に映るようになってきた。
そのひとつに「コリってひとつじゃないかも」ってことがあって。
コレ、数が一個じゃないってことを言ってるんじゃなくて、コリにもどうやら種類があるらしい…ってことなのだ。
足裏にはそれぞれ人の内臓や器官と対応している「反射区」と言われる場所があるのだけど、そこへの反応の出方も人それぞれあるようで。
腫れたようになってみたり、押せばゴリゴリ音のするような塊が皮膚の下に出来たり、皮がむけたり水ぶくれになったりさまざまらしい…が、どうやらコリが作られる時というか理由やタイミングにもそれぞれあるようなのだ。
例えば、その部位を使い過ぎた、負荷をかけ過ぎたって時は筋肉痛はじめその場所が硬くなったりするけれど、それは内臓を酷使した時にも同様に反射区が硬くなる=コリが発生したりする。
正直わたしの頭の中にはそのくらいのことしかなかったのだけど、先日聞いたお話が頭の中に残っていた。
その話というのが、捻挫や火傷をした時に昔は「すぐに冷やして!」というのが普通だったけれど、そんな時は冷やしてはいけない…というもの。
どちらも「熱が入った」「炎症した」状態だから、それを「さまさなきゃ!」と思いがちだけど、身体が修復の過程に入ったなら、その場所あたりを温めることでその修復過程の援護射撃をした方が治癒が早まるというという話だった。
その際、もし冷やしてしまうとタンパクなんとか(←記憶力ね、ホント)ってことが起きて、その周辺も合わせて硬くなってしまうということも話していて、わたしにはその話の方が印象的だった。
というのも、日々やってる料理の過程でタンパク質に火を通したら油も溶けて本体も柔らかくなって色づいていく、アレ。
あれって、その時はいいけれど冷めると硬くなるじゃん…。
で、先ほどのお手当でいうところの「冷水で冷やす」「氷を当てる」「湿布をする」このどれも同じように患部を硬くする作用があるらしく…これって料理のアレと同じじゃない?なんて思ったのだ。
そう思って自分の足を見てみると、むくみや筋肉の張りとは別に、明らかにいつもパツンっと張っているというか硬くなっている指がある。
そこって、小学生の頃捻挫したところなのだ。
そして、病院に通ったけれど、毎日湿布をして…そう、毎日ヒヤッとして気持ち良かったのを覚えている。
痛みは無くなっても、いつ「完治」になったのかさっぱり分からずフェイドアウトしたような記憶だけども…それが今でも指の形や硬さからして他の指とは様子が違うのだ。
揉んだ時の手触りも揉まれているところの感覚も他の指とは違う。
これが、人それぞれ体のいろんなところで起きているとすると…自分の体の使い方でできたコリともうひとつ違う理由で、自分の身体に「滞り」を抱えることになるってことなんだ…。
そんなことに気づいてからは「どうしよう…」っていう嘆きよりも、なるほど納得の感じが大きくて、ただいま絶賛「毎日揉んだらこの硬さがどうなるの?」を実験中だったりする。
捻挫の前の状態を覚えているわけでもないから、正直「良かった頃に戻したい!」なんてことじゃない。
それよりも、一旦そんな理由で固まった繊維がどのくらいの期間でどんなふうにほどけていって、それを自分はどう感じるか…そこに興味が向かっている。
思わぬ出来事で思わぬ塊ができ、思わぬタイミングでその塊の存在を知る。
自分がそれをずっと抱えて生きてきたこと、何が原因かわからないけどぼんやり存在する違和感。
…身体だけに関わらず、人生にそのままある話だよね、と思う。
仇のように「無くさなきゃ!」って敵視したり躍起になるよりも、それを抱えながらも生きてた身体や自分自身、その部分の変化の仕方、その辺もまるっと自分ごとで眺めながら関わり続けたいもんだな…なんて思った休日だったのでした。
そりゃ、猫の体みたいにしなやか柔らかな体はサイコーだって思ってるけど、ね。