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小さなことからチョコチョコと…  538

今朝はどういうわけだか目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
昨夜、いつもより早めに寝たからかスッキリ目が開いているように感じる。

「もうちょっと寝れるけど、このスッキリ加減を保ちたいなー」なんて思うと「もう起きちゃおうか」と思ってしまう。

そう、わたしも学んでいるのだ。
「今日は無理です。どうしてもこのまま寝続けないともたないです…」みたいな時じゃなければ、欲なのか欲じゃないのかもよくわからない「惰性」に負けて二度寝をするとビックリするほど不快な目覚めが待っているということを…。

「あれってなんだろなぁ…あの不快さってすんごいもんねぇ…」から始まり
「そもそもやたら現実に近いような夢を延々見るのも、休んでるんだか消耗してるんだか分かんないし」
「しかも、普段頭に浮かばないような人が出てきたり、話の内容が『いや、なんでそんな困ったちゃんなん?』みたいなことも多いし、身体もメンタルも起き抜けの不愉快な感じがすごいよね…」
と、なんだかだんだん「不快・不愉快」に思考の焦点が寄っていく。

おでこの辺りがギチっとしてきた?なんて気づく頃には、二の腕の上の方が力んでいたりして「え?『起き抜けにいいこと考えて1日を快適にクリエイト!』みたいなことを言われているこの現代に、自分からそっち行ってなにしてんの?」なんて天井を見ながら我に帰る…
って、どの我に帰るのかもしっかり選んでおくれ、わたしよ…みたいな気になる。


別に、夢のような絵空事を無理やりポジティブなテンションで思い描けってわけじゃない。
大勢の人が「不快より快の状態がいいじゃない」と思うとすると、「この出来事でハッピーになりたい!」みたいな理由はわざわざ描かなくてもいいから(限定しなくてもいいから)、快適な状況にいる時の自分の体感を思い描いて「うはー!うれしー!しあわせー!」って「からだが」なればいいってことだと理解している。

それって起き抜けの寝ぼけた頭にはちょうどいいサイズのことではないか…。
「それなら出来る!まかせとけっ!」って思えるようなことなのに、いざ寝起きのタイミングになると惰性が幅をきかせてくるこの感じ…

いやほんと、習慣ってすごい…。


でも習慣って、思った以上にわりと細々したことというか、細々した時間の回数=量なんだなと思っていて。
「慣れ」も「習慣」も、言ってみたら「回数」である程度作れてしまうんだと思うと、ずいぶんハードルが下がるように感じている。

ちょっと小さな窓枠の汚れを気づいた時に拭き掃除、とか
1冊を一気に読むなんてなかなかできないんだから、「ちょこちょこ読みでOK!」ってことにして安心してちょこちょこ読みたい本を読むとか
時間にこだわらず日常の作業を入れ替えてやってみるとか

もしかしたら、同じ時間でも内容を「置き換える」とか「すり替える」みたいな負荷の軽い作業でサクッと簡単に違う世界に行けちゃうかもしれない…

そんなことを思うと、自分の「クセ」みたいなものは思い悩まなくても、大々的に「よっしゃー!やるぞー!取るぞー!」みたいなことをしなくても、気づいたら「はいはい、これねー」みたいなしれっとした普通のテンションで細々やっていくことで知らない間に抜けてしまって違う世界にいるみたいなことは軽々起こせちゃうんだと思う。


日常と地続きで、全く違う世界への一歩を簡単に作れちゃうかもしれないなんて
ちょっとニヤッとして楽しめる「遊び」じゃないか…なんて思った朝なのでした。




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