疲れを持て余して出会った言葉の衝撃 584
今日はとにかく眠たい。
さっきからあくびが止まらないままこのnoteを書いている。
眠い原因は…わかっているようでわかっていない。
午後から、荷物を送る用事と一緒に数件のお店を探し物をしながら巡った。
用事はスムーズに完了、行き慣れた場所ばかりだったし買い物メモにあった目的はコンプリート出来た=目的は達成できたお出かけだった。
でも、車で移動している時に「ん?息が吸いにくいぞ?」と本当に久しぶりに感じ、そのあんまりいい感じじゃない体感があまりに懐かしい感覚で…ちょっと戸惑った。
久しぶりに感じるってことは、最近は「吸えない」と思うことがなかったってことで、それって以前の自分からするとまぁまぁ快適でうれしいことでもあるよねぇ…なんてそっちの方ではひとり満足していたのだけど。
この状態をそのままにすると、以前はうちに帰ってから「ちょっと横になりたい…」みたいな事になってたよなぁ…それは避けたいなぁ…なんて思いつつ、でもなんでこの状態に入ったのか原因やきっかけも見出せないまま、グダグダと帰宅した。
久しぶりにドッと疲れ「そうそうこんなだったよー」なんて懐かしみつつ「ご飯作らずにこのまま寝たい…」なんて思いつつ、ひとまず水分補給していた時思い出した。
オンラインで参加している料理教室の先生が雑誌の取材を受けたというお知らせをしていて、その雑誌を買って帰ってきたのだった。
「そうだ…先生のとこだけでも読みたいぞ…」なんて思いつつパラパラと力なくその雑誌をめくる。
「心と体をゆるめる習慣」という特集で登場されていて、こうやって書きながらだと「なんてタイムリーな特集…」なんて思うのに、その時のわたしは「えーと…先生、先生は…」とただただ目的地を探すばかりだった。
…正気じゃないって怖い。
以前から、先生自身が「身体オタク」を自称するのは耳にしていたし、実際先生が教えてくれた手のリリース方法は本当に面白くて、手に働きかけているのになぜかおでこが丸くなったりと身体のおもしろさを益々深めてくれるものだったりして。そんなだから、先生の日常の「ゆるめる習慣」には興味津々だった。
そんな先生のいくつかの習慣の後に「疲れた日のわたしのリラックス法」という記事があった。
その中には「眠りにつく前に『魂の栄養』となる読書」という文章があって。
写真にはプリミ恥部さんの「SF安心」や谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」、石井ゆかりさんの「星占い的思考」などが並んでいた。
その中に、ちょっと目の覚めるような表現があって。
そう、先生の言葉って、教えてくれるものってこうだ…と思い出すような。
こっちが油断していたことを恥ずかしく思ってしまうような…そんな視点。
それは「射程距離が長い本」と「射程距離が短い本」という言葉だった。
ここに並んでいる本たちはいわゆる「射程距離が長い本」で、曰く「著者の視線や描かれた世界が、遠く彼方まで届く本」。
じゃあ逆に「射程距離が短い本」って?というところなのだけど、それは…
「いますぐ役立つ」「実用、効率」などを目的としたもの。
それはどんなものかというと、実用書やネット記事などで…その中には恐怖や不安を埋めるために集まった情報も多いし、逆にそれらの感情をあおって交感神経を優位にし眠りを妨げてしまうこともあると…。
ここまで読んで
「あぁ…今日のわたしは『射程距離の短い』スタンスで自分を取りまわしたんだ…」
と妙に腑に落ちた。
この文章を読むまでは、メモの通り「目的を達成できた!」と思っていた。
達成の大きな喜び!というものはないにしても、達成できた=良かったと思っていた。
でもそこに、交感神経を優位にしてしまうような要素が混じっていたとしたら?
そりゃ呼吸も浅くなるし、吸えなくなるでしょう。
「特に気に入らないこともないし、想定内だけど…楽しくない」ってなるでしょう。
でも、日常の買物やなんやなんて「実用」以外のなにものでもないけどさ…なんてことも頭をよぎる。
射的距離が長い、短いなんて言葉を聞くと、ここ数日やっている「視線を頭の後ろから眺めるように持っていく」という話にもつながるような気がしてくる。
近視眼的みたいなことが交感神経を刺激するってことと関係あるんだろうなぁ…なんてぼんやり浮かんでくる。
なるほど、どうやら今日の疲れは外のせいではなく「わたしに」原因があったようだ、ということはハッキリわかった。
じゃあ「射程距離の長い」視点を持って送る日常生活ってどうすることなんだろう?…これは宿題にして、今日はもう寝る事にしよ…。
それにしても「魂の栄養」って、いい言葉だな。
こんな言葉で伝えてくれる先生の世界、だから好きなんだな、きっと。