わかってほしかったんじゃない、〇〇〇たかったんだ! 377
インスタグラムなんかでよくある美容室でのビフォーアフターの動画。
あれ、好きなんです。
自分自身も美容室で上手にオーダーできないコンプレックスを長らく持ち合わせていたし、芸能人や海外の人の画像を持っていって「こんな風に…」って言うことへのハードルは棒のない棒高跳び級の難題のように感じていたので、お客さんのちょっと慣れない感じとか、居心地悪そうな感じとか、諦めた感じとか…色々、いろいろ勝手にこちらの思いをかぶせつつ見たりしている。
そんなだから完成後のかっこいい、かわいい姿や晴れやかな顔を見ると関係のないこっちまで「いいやーーん!めっちゃいいやーん!」なんて盛り上がるし、なんならウルっとくることだってある。
美容室といっても、男性バージョンも女性バージョンもあるし、年代だってバラバラ、なんなら海外で日本人の美容師さんがいろんな国の方のオーダーに応えながら髪型を作り上げていくようなものまであって、本当にさまざま。
海外の方の「今回わたしはこうしたいの」「そのあたりのことはあなたに任せるわ」「あなたはどう思う?」なんてハッキリとニーズや意見を伝えたりする姿はとてもいいし、アシンメトリーな形や鮮やかなカラーなんかを見るととても刺激になる。
そんな方々を相手に日本人の美容師さんもプロとして「それはできるよ」「そこはこうするのはどう?」「僕だったらこんな風にするのも似合うと思うけど」みたいな同意や提案を含んだレスポンスも穏やかだけどしっかりしていて、なんだかそれぞれの気遣いやキュートさ、ユーモアだけではなく、スマートさや人同士の化学反応なんかが見えるのが本当にいい。
そんな中、今日初めて手話を使う美容師さんの動画を見た。
30代くらいの女性の美容師さんで、彼女にカットしてもらうお客さんの性別・年齢はさまざま。
画面に字幕を出してくれるから、動画を見ているわたしにも内容が理解できるのだけど。
「ここは伸ばしてる?このくらいだったら(指で示しながら)切っても大丈夫?」「うん、大丈夫」なんて細かな会話も手話で話していて「ふわー!髪型の確認から日常会話まで手話で話せるってすごいー!」とストレートに感激したし、お客さんはみんな本当にうれしそうな顔をしていたのがとても印象的だった。
中には「手話のできる美容師さんって探して、あなたを見つけてきたんだ」なんて言う人もいて、どの人にも伝えられるうれしさ、伝わるうれしさが弾けていた。
そんな彼女に女性のお客さんが「どうして手話をするようになったの?」と聞いた動画があって。
彼女は「以前、わたしが直接担当したわけではなかったけれど、手話で会話するお客さんがお店に来ていて。様子を見ていたら、なかなかお互い伝えづらい感じだったんです。筆談も時間がかかるし。その時に「手話で話せたらどんなにいいだろう」って思ったのがきっかけでした」と答えていた。
質問したお客さんは「いいねー!」ってすんごい褒めながら喜んでいたのだけど、その光景を見ながらわたしは思ったのだ。
「そうか、この美容師さん手話を習ってまで分かりたかったんだな…」と。
その瞬間「!!」となった。
そうだ、わかりたいんだ。
仕事のためとか、そんな仕方なく出すモチベーションの話なんかじゃなくて。
会話って、コミュニケーションって「わかってほしい」の道具や場ってだけじゃなくて、相手をわかるためにする会話やコミュニケーションがあるんだ…!
「伝える」ための道具ってだけじゃない「分かりたい」のために使うものだとしたら…リーチが変わるというか、今までとらえていたものがグルッとひっくり返っちゃうのでは?
矢印の向きというか、流れの向きが実は逆だったみたいな…。
なんて、ちょっとワタワタ、鳥肌ものだった。
そんな時に思い出したのは、昔見た仏教のお話。
大きな円卓にたくさんの美味しそうな食事の数々。
そこに来た人はみんなお腹を空かせている。
でも、各々の席にあるのは1メートルもあろうかというほどの長いお箸。
地獄でその場にいた人々は
「こんな長い箸なんかじゃ食べられないじゃないか!」
「こんなご馳走があるのに食べられないなんてーー」
と怒り、嘆き、争い、誰もごちそうを口にできない。
対して天国で同じ場面にいた人々は
「あなたの食べたいものをわたしが箸で口に運んであげましょう」
とそれぞれが離れた席にいる人のために箸を使い、みんなで食事を楽しんだ、
そんなお話だった。
あの話は、こういうことだったのか…なんて今頃になってそのカケラに気づく遅さではあったのだけど、道具を「どう使うのか?」と同時に「誰のために使うのか?」…んー…「誰に」なんて限定でもなく、もう一歩踏み込んで「どう喜ばせるために使うのか?」ってことだと思うと、そんな使い方をした先に見る景色は違ってくるよねぇ…なんて思っちゃうのだ。
だって「言葉」だって「相手を喜ばせるため」の道具になるんだよ?
おべんちゃらや忖度じゃない、本当の歓びを渡したいって願って渡せるなら、そんな震えるようなことに使いたいじゃないの…と、またひとり「ふわぁーーー」と鳥肌を立てる夜だった。