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「逆側」の捨て方って?  397

土用の真っ只中で満月で、梅雨明けで明日は大暑…
世の中は夏休みが始まったと思ったら、お祭りはあるわ花火はあるわで何やらスタートダッシュ味がすごい…。

なんか色々まとめてやって来た感がモリモリで、みんなこの流れに乗って夏を楽しむんだなー…体力あるなー、っていうか「たのしー!」ってココロがあふれて体力云々でもないんだろうなー…なんて、完全にひとごとで「夏」を眺めているのだけど…うちにだけ夏が来ないはずもなく、しっかりした暑さと課題図書の懐かしい感じを堪能している。


そんな今日はひょんなことからスイッチが入り、太陽が一番高い時間に裏の畑で穴を掘っていた。

というのも、いただいたスイカを切ったり、レモンのぎりぎりになってきたものの果汁をまとめて搾ったりと、いわゆるゴミがたくさん出る+作業量の多いことをしていた続きで…ということで、特に「無性に穴が掘りたいっ!」みたいなことではなかった。


今日、その作業をしていて思ったのが
「今まで思ってたの、逆だったんじゃない?」
ということだった。

何が逆だったかというと…

スイカを切るとかレモンをまとめて絞って冷凍をかけるとか、室内の、台所の、みちみちした持久力の必要な作業、こういうのが自分の「できること」だと思っていた。

逆に、穴を掘るとか外作業は好きなのだけど、ショベルの使い方から場所の選びかた、作業の時間配分やタイミング…ってなんかはっきりしないけど「的外れ感の高さ」を感じていた。
的外れ度は作業の内容が自分に合わないということではなくて、わたしがいつまでたっても上達しないという意味での的外れ感なのだけど。


それが、今日はちょっと違って感じられたのが…

まず、延々とレモンを切って、搾ってを続けていることへのジワーっとくる圧。
誰かからの圧じゃなくて、しんどさなのか、退屈さなのか、はたまた飽きたのか…
言葉でつかめてないない何かが重かった…。

正直に言えば、早々にやめたくなっていた。

かたや穴掘り。
草や泥に近い作業なので、まず着替えが必要になる。
大体これを面倒だな…とハードル高く感じてしまうのだけど、今日はレモン搾りのこともあってかなんとも思わずサクサクと準備完了。

ついでに冷蔵庫の整理もバシバシと進んで、出てきた不要なものも一緒に掘った穴へ放り込み穴埋め完了!
作業後の片付け、着替えもスイスイだったし、何がよかったかって…
午後の体調がすこぶるよかったこと…。

つまり、今まで思っていた「向き・不向き」「出来る・出来ない」は適性としては逆だったんじゃないの?ということだった。



これ、わたしの「わたしという身体」への思い違いと、無意識に染みついている「作業の性差」みたいなものを合わせてできたものだな…と思っていて。

つまり、外作業においては自分が「好き」だと思っているということよりも、自分には体力がないとか、暑い中での作業は後が疲れて使い物にならないみたいな「思い込みレンズ」をしっかり通して見ていて、台所作業においては「いつか誰かかやらなければいけないこと」みたいな後ろ向きなモチベーションしかないのに、いつも台所に立つ自分が、もっと言えば「女の自分が」やらないといけないことと決めつけている。


定番の「好き」を無視して「世の中モノサシ」で行動するっていうやつだけれど。
これが、いよいよ行動後のエネルギー残量にまでハッキリと結果が出たんだから、行動のモノサシ、何を選ぶかをひっくり返すタイミングってことだな…と受け取った。

自分が外作業をする、外に出ることは簡単に選べるだろうけれど、おそらく山は「で、台所は誰がするの?」になるんだろうなぁ…

さっぱり「カタチ」が浮かばないのだけど、まずはハッキリ望むことにする。
…弱いな。
こういうのどうするんだろうな…
おなじみのところで考えるのもそろそろやめたいな…
とボソボソ呟きながらグルグル考えている。





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