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平和へのバトンタッチ
私は『おじいちゃんっ子』だった。
よく手を繋ぎながら、商店街を散歩した。
その祖父がよく口にしていたこと。
「幸せになったもんだ」
優しいのにどこか悲しそうな表情を浮かべながら。
その違和感の正体が気になっていた。
違和感の正体がわかったのは、私が小学6年生の時だった。
「おじいちゃん、戦争って怖かった?」
私は戦争というものに感情移入できなかった。
私の父が自衛官で、毎年8月になると一緒に戦争のドキュメンタリーを見ながら、『戦争での勝ち方』『日本軍が負けた理由』を教えてくれた。
私は、戦争をチェスのようなゲームのように捉えていた。
祖父は遠くを見つめた。
「じいちゃんがまだガキの頃。みんな家族のために死んだんだ。」
「お国のため、じゃないの?」
「じいちゃんの近所にね、戦争に行っちまった、にいちゃんがいたんだ。とびきり美人な嫁さんがいてさ。にいちゃんが戦争に行っちまう前に会ったんだ。大好きな嫁さんと腹の子がたらふく飯が食えるように頑張ってくる、ってね。」
「そのおにいさんは戻ってこれたの?」
祖父は寂しそうに微笑んだ。
「その嫁さん、元気な赤ん坊を産んだんだ。男の子さ。」
当時の私は鈍感だった。
祖母にその「にいちゃん」はどうなったのか、を聞いた。
「その人はね、亡くなったの。お骨も…あんまり戻ってこなかったみたい。おじいちゃんね、知らせを聞いて、俺も戦争に行く、って」
祖母があぐらをかいてテレビを見る祖父を見つめながら、呟いた。
「あの時は『赴くのは家族のため、死ぬのはお国のため』だったんじゃないかねぇ」
商店街を散策する度に、ふっと顔を曇らせていた祖父の表情。
それは、嫁さんと子どものために戦地へ赴いた、にいちゃんの姿を見つめていたのかもしれない。
祖父はその後、いろんな病気を経験したが、生きることを決して諦めなかった。
がんにも負けなかった。
脳卒中で半身不随の状態になっても、リハビリを頑張った。
病室で休んでいる祖父に会いに行った時。
「あきらめるな、くるしくてもだ」
涙を流しながら、ゆっくり吐き出すように私に語りかけた。
その1年後、静かに旅立った。
最期の言葉は、「あいしてる」
祖母は「生前もっと言ってほしかったわよ」と呟いた。
生きられること、ご飯が食べられること、誰かを愛せること。
それらは幸せなこと。
過去から学べ。想いを紡げ。
それが、今を生きる我々の使命だ。