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『欠落』~斉藤前知事を見ていて思うこと




人が生育していく過程で、誰に教えられるともなく学んでいくものがある。

それは、人との関係性の中で「学ぶ」というより「育まれる」もの。

人との距離感であったり、人との接し方であったり、言葉の使い方であったり・・・

自ずから「気づかい」「気配り」ということをすることで、「何をどうするのがいいのか」ということは育まれてゆくもの。

「こういう場合はこうする」

「こんな場合はこうする」

それは「教えられる」ものではなく「自然と身についてゆく」ものである。

そして、「どこまでが許されてどこからが許されないか」という「ライン」も身についてゆくわけである。


それらは人それぞれであるが、大きな大多数の人が持っている「共通認識」や「ライン」があり、様々な他人が「共通項」を共有できるのは、『同じ世界』『同じ社会』に暮らし、そこで育まれたものだから「共通」する認識となる。


だが、時たま「共通認識」が通じない人が居る。

どこかが部分的に「欠落」していたり、真逆の認識を持っていたり・・・・・

なぜそうなるかと言えば簡単で「経験則」が全く異なっているためであり、それが「部分的」に全く異なる経験をしてきたがゆえに起こる現象である。



コミュニケーションというものをとらない人ほど当然のことながら「経験」に乏しいわけで、だから「どのように交流すればわからない」ということになる。

だが、それに気付くためには、自分の経験則が「人と違う」ということを「経験」せねばわからないわけである。



斉藤元知事が受け答えをする顔を見ていて、いつも「????」が表情を覆っていると思っていた。

自分はいったい何を怒られているのだろうか?
自分がやったことの何が悪いのだろうか?
質問にどう答えればいいのか?

「あぁ、この人わからないんだな・・・」

彼の顔に現れる「??」を見てそう思った。



生身の人間との「対話」という経験があまりにも乏しいのだろう。

社会性というのは生育過程で「父親」から学ぶ。

情緒的なものは母親から学ぶ。

両親との対話や接し方が幼少期の中心であり、生育するにつれ、より多くの人と接し「関係性」を学んでいく。

そこが「未熟」なまま大人になってしまったのだろう。

だから「??」が常に顔に現れている。

そして、その時々で語る言葉が変わってくる。

その時その時考え、その時々で答えている。

だから話が食い違う。

だが食い違っていることさえ「??」なのである。



いい学校を出て、いいところに就職しているからと、人は何故か勝手に「いい人」と思い込む。

それはそれで人を見る目が「欠落」しているわけであり、それも「ちゃんと人と接してこなかった」からなのである。

だから「肩書き」に判断を依存する。

とりあえずそうしておけばいい・・・という「考えない」選択をしてきた人の行動であろう。

多くの人が当たり前のように共通して認識している事柄に関して、すっぽりと抜け落ちている、欠落している人を何というか?

「サイコパス」

彼らは「冷酷」だと考えられているが、それは「共通認識」から察して「冷酷」であるというふうに見えるわけで、実際は「欠如」しているから「わからない」わけで、「わからない」ことには感情は動かない。

だから「人の気持ちがわからない冷酷な人」となるわけで、実際は「人の気持ちがわからないから気にならない」というほうが正しいだろう。

また、「ひどい仕打ち」と見えるものが、実はその人の中では「当たり前」のことであったりもする。

それは「経験」によるものであり、例えば、子供に暴力を振るう親に育てられた子供は、自らが親と成った時、自分がされていた暴力を振るう親となってしまったりする。



成長して大人になり、初めて自分が親となり子供と接するとき、「どのように」接すればいいのか?

それが「経験則」から引用されるからである。

だが、親となるまでにその経験則が「間違い」であるという学びを得ていたならそうはならないだろう。


だから、斎藤さんが再び知事に復帰しても、結局は「わからない」ままである。

知事としてそれを「学ぶ」のか?

それを学ぶのは「下積み」である。

下積みして養われ、欠落した部分を埋めていき、そうしてようやく「人の上に立てる」ようになる。



兵庫県庁の人たちは「子供」をお上に頂いてきたようなものであり、彼らが知事を「育てる」などという義理は無い。

「育ってから来い」

という話である。


私の知人の旦那さんが兵庫県庁に努めている。
その方の苦労を思い・・・
だから書いている。



経歴だけ大そうなものを見につけた「鼻高天狗の子供」が、「鼻っ柱を折られた」のであるが、本人は結局それを認識することもできない。

たぶんまだ「何が悪いの?」と思っているのだろう。



何が悪いかわからない・・・・

それ(わからないこと)が悪いのだということがわからない。

だから、わからない人に何を懇切丁寧に説明しようがわからないのである。

なぜなら、本人が「何を言われているのか」さえわかっていないのだから・・・・・





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