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17歳の私が考える国際協力とは


私は小学生の頃から、アフリカの貧しい子ども達を助けることが夢だった。なんなら16歳の私の夢は貧しい国に学校を建てることだった。

だから、わたしはずっと国際協力をすることを夢見ていたのだ。

でも、17歳の春ウガンダに行った時、その国際協力という言葉に対しての捉え方と国際協力の在り方について違和感を覚えた。


私は、国際協力をこう捉えていたのだ。

何か ''事を成すこと'' 。
例えば、現地で何かプロジェクトを達成するとか、社会問題の情報を発信するとか、NGOで働くとかとか。その''事を成すこと''がイコールで国際協力だと。


でも、その捉え方に違和感を感じたから、その違和感と向き合うことにした。


なぜ、その捉え方に違和感を感じたのか?
私の中で2つある。

違和感①
ウガンダ🇺🇬にいる間、実際に現地で活動をする人と会話をした。その時、私はその人が行っているプロジェクトの内容や活動内容。それ以上に、その人の姿にとても輝きを感じたから。
何かその人が行っている事柄よりも、その人の話す姿や、必死で取り組む姿、頑張り屋さんすぎるその姿にとても輝きを感じたのだ。ただ座っているだけの姿でさえも輝いて見えたのだ。

違和感②
「協力」なのに、私があなたを助けたいとか、そういう一方的なものになっていて、その捉え方には、それらとわたしのつながりがなかったから。
例えば、よし運動会協力しよ!って時に相手とのつながりがかけることはない。
たとえ熱量が違ってもつながりの上成り立つ。
なのに、国際協力となると、一方的な気持ちになって人と人としてのつながり考えずに捉えていたのだ。

この感じた2つの違和感から私の思う国際協力とは。



私の思う国際協力は2つある。


⭐️国際協力とは、''誰かを、何かを想い自分自身が行動を尽くす姿''。のこと。
そこにいる自分がどうあるか、どれだけ自分が必死に尽くせるか。
だから、何かこれをすればいいってそんな単純な事じゃない。自分の意志でたくさんの方向に赴いて、そしてどれだけ自分を貫けるかが大事で、その姿自体が国際協力なのだと思う。(全てがいいことばかりではなさそうだ。🍄)

⭐️国際協力とは、人と人のつながりである。
''事を成すこと'' は言えば一時的で一方的である。
ならばそこで生まれる、わたしとそれらの共有する時間を大切にすることが必要。わたしとそれらの笑顔、表情、温もりを共にすることが必要。その人と人のつながり。



そして、国際協力の在り方。

国際協力といっても、「協力」である。だから、自分が想いを寄せ、自分自身が必死になって、その事柄を真っ当することが、国際協力の在り方であると思う。   




これからも、こんなふうに違和感を感じたことに対して向き合う事を大切にしていきたいと思う。

こんな私の考え方が正解では絶対ないから、
色んなひとの姿や語りをじっくりと見て聞いて
人生つながって学んで生きたい!!🐥



三井所和奏

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