中学生はみんなおかしい

中学一年生の頃。
学校の休み時間に何気なく横を見ると、隣の席の女の子がプラスチック容器を机に取り出して何か作業をしていた。
筆箱ほどの大きさのその容器にはそれほどの数を一体何に使うのか、ヘアピンが大量に詰められていて、彼女はそれらをアルファベットの形に並べているようだった。一辺をヘアピン一本で構成しているせいで、その文字列は机のかなりの領域を占めてしまっている。
作業に没頭していた彼女が手をどけると、その全貌が明らかになっていった。僕の目は自然とそれらの字を追っていく。左から『S』『E』そして『X』。
そこにはSEXと書かれていた。
僕は困惑した。脳が目の前の異物を上手く処理できず、硬直してしまった。
中学一年生の頃といえば、教師が「x=yは〜」などと発言すると友人がこちらを振り向き「おい、エックスだってよ」とニヤニヤと話しかけてくるので、僕も時計仕掛けのオレンジみたいにニィーーッと笑う、なんて気色の悪いことばかりしていた。
だが、そのような多感な時期というのは下品なことを意識しすぎている割には直接的なワードや行為に対する免疫がない。それが見たこともないほど巨大なSEXの三文字であれば尚更だ。というか、性への興味が薄れてしまった今でもそのような状況に出くわせば大なり小なり困惑すること必至だろう。
気がつくと僕は「えっ?」と声を発していた。それは僕の意思に反して、脊髄反射のように口からまろび出た一言だった。
そのとき僕は童貞だったが、皮肉にもSEXによって声をあげてしまった。
彼女は僕の声に反応してこちらを向いた。
そして言ってしまってから僕は気がついた。彼女はSEXY ZONEと書いている途中だったのだ。

あの頃、クラスの女の子たちはみな男性アイドルに夢中だった。
キック・アス2では、暗殺者として育てられたヒットガールでさえ、思春期にはワンダイレクションだかバックストリートボーイズまがいのボーイズグループに恋をしてしまう。
世のほとんどの女性がそのような過程を経て大人になっていくなかで、隣の席の彼女も例に漏れず、当時隆盛を誇ったアイドルグループ『Sexy Zone』に熱をあげていたようだった。
あまりクラスの女性たちと多く会話を交わすようなタイプではなかった僕が彼女たちの好む対象のグループまで知っていたのは、彼女たちが、というよりほぼ全ての中学生がそうだが、聞いてもいないのにアイドルの話を大声でしたりグッズを身に纏ったりというアピールを欠かさなかったからだと思う。誰もがそうやってアイデンティティを確立しようと必死だったおかげか、知りたくもないのに誰がどんな趣味趣向をしているかを把握してしまっていた。
さらに彼女たちは、親切にも机やノートやソーシャルネットワークサービスの至るところに愛するアイドルたち、現代の言葉で言えば推し、の名前やグループ名を書いていた。
それは太宰治が「芥川龍之介芥川龍之介...」と書きまくっていたのと同じようなもので、いわゆる一つの黒歴史かもしれない。太宰が蜘蛛の糸を上って冥府より蘇り、それらの遺物を全て燃やしても全く不思議に思わないほどに"痛い"が、そういった痛い行いをやった覚えは自分にもある。そして誰もがそれに近いことをした記憶があるはずだ。中高生というのは痛いことをするのが仕事であり、赤ん坊が日がな一日泣き喚くのと同じようなものなのだろう。
隣の席の彼女はそういう行為を行っていた。
悲しいことに、僕がそれに思い至ったのはすでに驚いて声をあげた後だった。
彼女もその声に反応している。
そして彼女は僕の目線が机上のSEXに向いているのに気がついて、全てを理解したようだった。
下手に騒げば、彼女はクラスメイトたちからあらぬ誤解を受けるだろう。もし誤解が解けたとしても、そのようなシチュエーションは残酷な子供たち、特に若い男性たちにとってはとてもからかい甲斐のあるものだ。そして彼女はそれによって傷ついてしまうかもしれない。

その後僕らはどういうやりとりをしたのか。
どんな言葉を交わしたのか、それとも交わさなかったのか。
その状況はクラスメイトたちに目撃されたのか。
不思議なことに僕はそれらの一切を覚えていない。
僕が声を発して彼女が机上のSEXに気付いてからの記憶が、なぜか全くないのだ。
あの三文字は僕の見間違いだったのだろうか。
例えばオーロラが一瞬SEXの形に変化する映画ライオンキングの有名なサブリミナル効果のように、ヘアピンの乱雑な並びが視界の端でそう見えただけなのかもしれない。しかしあの三文字はあまりにも鮮明に脳裏に焼き付いている。見間違いや記憶違いの類ではないと、僕の見たあの景色が断言している。
なのにその後の顛末について何も覚えていないのは、やはりおかしい。
こんなことは考えたくないがあり得るのは、全てが僕の妄想だったのかもしれない、という可能性だ。
隣の席の彼女がヘアピンを並べていたのも、それがSEXの形になったのも、実はSEXY ZONEと書こうとしていたということさえ、当時脳内全てがピンク色だった男子中学生である僕の妄想で、そういう白日夢のような場所で見た景色を鮮明に覚えているということであれば、一応辻褄は合う。終日性的なことばかり考えている中学生なら、ありえない話ではない。
あのとき僕は、幻の中にいたのかもしれない。
エロスに目覚めたばかりの者だけが行くことを許された精神世界。
僕自身の淫靡な妄想が作り出した、現実と見まがうほどの幻の領域。
それこそまさに──Sexy Zone──だったということなのかもしれない──。

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