麦わら!・・・お前は・・・・・・いいヤツだなァ・・・

先日大好きな映画『HOUSE』を鑑賞していた際、押し入れの奥に眠る2枚のDVDの存在を思い出した。たしか今から大体2年くらい前の18歳の夏、なんとなく徹夜して明けた日曜の朝の5時あたり、あの時、僕は初めて『HOUSE』を観た。

古い日本映画は事あるごとにおっぱいを露出する。サービスシーンのつもりなんだろうか、割と脈絡なくおっぱいが飛び出す場合も多い。ハリーポッターでいえばネビルくらい出る。はじめの一歩でいえば間柴クミくらい出る。アダルトビデオでいえばローションくらい出る。アダルトビデオでいえばおっぱいくらいは出ない。そんなにおっぱい出たらそれはもうアダルトビデオである。

実際のところ突如裸体を見せびらかすような前後のつながりの薄いサービスは、現代の若者の視点では、興奮より奇妙さが勝るのかもしれない。しかし。

『HOUSE』も例に漏れず入浴シーンや露出シーンが存在する。そもそもカルトホラー映画とはいえ、女学生たちが泊まりに行った田舎の家ではしゃいだり怖がったり死んだりするバカホラーで、フェティシズムやロリータコンプレックスの要素を多分に含んだキモめの映画なので、サービスシーンがふんだんに盛り込まれていてもなんらおかしくはないのだ。

真夏の朝の5、6時あたり、窓から少しずつ日差しが差し込んできて、母親はもう朝食の準備をしていた。僕は大林宣彦監督の映画を観ること自体初めてだったので、フェティシズム満載な、元祖アイドル映画的テイストを、鑑賞し始めて数分経ったあたりでやっと理解した。こんな時間帯に観るものではなかったかもしれない、と思いつつも、妙な覚醒状態で徹夜してしまった勢いや、映画そのものの面白さもあって鑑賞し続けた。
映画が後半に差し掛かると、クンフーというキャラクターが終始タンクトップにブルマー姿という出立ちになる。それを眺めていると、僕は下腹部の内側を数匹の大ムカデが這っていくような疼きを感じた。
あなたは今これまでにないほど猛烈に興奮しています。
僕の体からアナウンスが流れた。ような気がした。
大槻ケンヂは『グミ・チョコレート・パイン』の中でそれらのリビドーを
"そいつはあたかもウルトラマンのカラータイマーのごとく"
と表現したが、まさしく僕のカラータイマーもピコピコと点滅していたし、アイスラッガーはエレキングを切り裂いていた。
やがて映画はエンドロールを迎えた。
映画自体は、これぞカルト映画!というような出来栄えで、僕は大変感動した。それと同時に、鑑賞中に抱いた劣情を鑑賞後もまだ引きずっていた。そして、その劣情について少し考えてみることにした。あぐらをかき、目を閉じて精神を統一し数分、突如目をカッと見開いた僕は床に無数の数式を書いていった。そうして得られた知見がいくつかあった。
思い返してみると、僕は最新のアダルトビデオにあまり興味がない人間だった。あまりに映像や人間が美しく、細部に至るまで鮮明に見えてしまうと、何故か何も感じなくなってしまうのだ。これはどういうことだろう。と考えた僕は、30〜40年ほど前の古い映画の、劣情を煽るようなシーンにまんまと欲情したことが今までも何度もあったこと、インターネットで古いポルノビデオを見つけてはクリックし鑑賞していたこと、なんかを思い出した。さまざまな要素が絡み合い、すべてのピースが合わさっていく。ありったけの夢をかき集め、探し物を探しに行くのさ。気がつくと僕は自転車で街へ飛び出していた。

18歳の僕はまだアダルトビデオを購入したこともレンタルしたこともなかった。今日がそうだ、と思った。今日がその日になる。新しすぎてもダメだし古すぎてもダメだ。25〜40年ほど前のあの粗い画質や艶かしい空気感でなくてはならない。もちろんレンタルではダメだし、インターネットで探すなどもってのほかだ。DVDを購入し、それを自らの手中に収めなくてはならない。性的欲求に支配された僕の体は一心不乱に自転車のペダルを漕ぎ続けた。
しかし徹夜明けの奇特なテンションの僕はまだ世界が朝の7時であることを忘れていた。当然どの店もやっているわけがなく、一度帰宅し朝ごはんをかっ喰らい、開店時間を今か今かと待った。短針が9時を指すのも待たずにもう一度大海へ船を漕ぎ出した。

行き先はもう決まっている。国道17号線沿いのあの本屋だ。
小学校6年生の頃、ごく普通の小説を購入しようとしてその本屋に入った僕は、店の入り口付近をこれでもかと埋め尽くす18歳未満立ち入り禁止のマークと女性の水着姿や裸のポスターに圧倒され、脱兎の如く逃げ出した。まさかあの本屋にもう一度入ることになろうとは。あの暖簾の向こうになにがあるのか見届けねばなるまい。こう考えつつバイシクルを漕ぐ僕の勇姿が、白熱のツール・ド・フランス2014年に重なって見えたとか見えなかったとか。

本屋に入ると、あの頃の記憶のままの、サイケデリックで猥雑な風景が広がっている。生まれて初めて18歳未満立ち入り禁止の暖簾をくぐり、あたりを見回せば、書店とは名ばかりのエロDVDの数々が所狭しと並んでいた。
僕はそれらを端から順番に一つ一つ物色した。タイトルを眺め、気になれば丁寧に手に取り、内容を吟味した。かなりの数を物色し、僕は気付いてしまった。お目当ての古いアダルトビデオだけが全くと言っていいほど置かれていない。それ以上にマニアックであろう性癖のものはいくらでも置いてあるのに、だ。
盲点だった。アダルトビデオは映画などとは違い、VHSなどで販売されていたものをもう一度DVDに焼き直して販売しても、利益が望めないのだろう。新作だけを新しくプレスして売るから、当然中古市場も比較的新しいものばかりになる。僕はビデオデッキなど持ってはいないから、またインターネットで探すしかない。
発見した宝の地図の、その指し示す場所も分かっているのに、宝がない。なんということだ。これでは僕はルフィではなくガイモンさんである。
帰ろうかとも思ったが、僕はガイモンさん同様諦められなかった。真夏の照りつける日差しの中、性欲の指し示す方へ自転車を漕いだ。

国道17号線を北上し、商店街をまっすぐ進んだ先の蕨駅前には、小さなTSUTAYAがある(いまはもう潰れてしまった)。そこに向けてひたすらに走った。チャリで。
TSUTAYAならDVDの販売も行っていそうだし、何よりTSUTAYAさんのあの暖簾の向こうにどんな景色が広がっているのか興味があったのだ。

TSUTAYAの成人向けコーナーは、そのほとんどがレンタルDVDだった。当たり前だ、と僕は思った。冷静になって考えてみれば、そう都合よく販売が行われているわけもないし、仮に販売が行われていたとしても、目当てのものを手に入れられる可能性は限りなく低いのだ。踵を返し今度こそ帰路に着こうとしたそのとき、僕は視界の端、そのギリギリのところで『500〜1000円販売コーナー』の小さな文字を見つけた。
ひとまず救われた、あとは俺を満足させるような絶妙な古さの作品さえあればOKだ。
ずらりと並んだDVDたちに目を通していると、その中に一つ、僕の古アダルトビデオセンサーに反応する奇妙な物体があった。
古アダルトビデオセンサーに従って歩いていき、センサーが示すそれを手に取ってみると、どうやらそれはDVDらしい。
そのDVDの背表紙には、こう書かれていた。
『ヘンリー塚本監督作品 名作ポルノ 婦女暴行の夏』
古そうだ!僕の心は叫んだ。
表紙や裏表紙のイメージも、昭和後期〜平成初期あたりの雰囲気を醸し出しているし、ヘンリー塚本という名前にもなんとなく見覚えがある。何より名作ポルノと書いてある。これには期待できるぞ、と僕は思った。僕は女性に乱暴するような類のものはフィクションと分かってはいても好まないが、この場合は別だ。その瞬間の僕にとって、古さこそが最も重要であり、それ以外の要素は全て意味をなさない。
これ以上の出会いは今日はない、購入してしまおう、と考えた刹那、ある懸念が僕の頭をよぎる。

このDVD、いわゆる『レンタル落ち』のものであった。

レンタル落ちのDVDは購入したのち売却することができない。この1000円のDVDの中身がもし僕の望み通りのものでなかった場合、僕は1000円をドブに捨てることになる。実家暮らしとはいえ、売れない自称ミュージシャンの僕にとって、1000円は小3にとっての100円ほどの価値がある。
まあそもそも、この中古のアダルトDVDが仮にレンタル落ちでなくても、売ったところで大した金にはならないだろうし、売れないことは大した問題ではない。
では何が問題なのか。
問題になってくるのは、レンタル落ちDVDのその形状、フォルムなのだ。
レンタルDVDというのは、DVDのパッケージの開閉部分は留められていて開けることができず、パッケージ上部を切り取ったような形をしていて、そこからあの透明のプラスチックケースとその中のDVDを出し入れするようになっているのは、周知のことと思う。このフォルム、何かに似ている。

そう、ガイモンさんだ。

ガイモンさんはその体が宝箱にすっぽりと嵌ってしまい、頭と手足だけを出して生活している。その形状が、パッケージからプラスチックケースが飛び出したあのレンタルDVDの形状と重なって見えてくる。

僕は直感した。これは啓示だ。
宝箱を見つけても、開けてみるとその中には望みのものが入っていない。そういった状況をこのガイモンさんのフォルムによって誰かが僕に知らせている。そういう未来を暗示している。
もしかしたら、僕と同じ夢を持って海に出た誰かの無念が、それを教えてくれているのかもしれない、と僕は思った。ありがとう...みんな...。でもおれにも夢がある...。ここで引き下がるわけにはいかない。
僕は『婦女暴行の夏』を手に取った。死して屍拾うものなし、もし後悔するようなことになれば、それもまた自分自身の責任なのだ。そして隣にあった『快楽堕ち』(500円)も手に取った。これはなんかもう普通に買った。古くもなかった。

そして『婦女暴行の夏』と『快楽堕ち』を携えた僕は18禁コーナーを出てレジへと向かった。レジの前まで来て、僕は困惑した。
DVDの購入もセルフレジで出来るのだろうか?
レンタルでしか使ったことがなかったので、その辺りのことが判然としない。しかし有人のレジには店員が立っていたので、僕は確実な方をとって店員の元へと向かった。
カウンターに2本のDVDを置くと、店員は会計を始めた。見たところ40歳くらいのおばさん店員だった。僕はなんだか恥ずかしさとはじめてのドキドキで居た堪れなくなった。そうしてもじもじしていると、DVDのバーコードをハンドスキャナーでスキャンしていたおばさんの顔がみるみるうちに曇り、怪訝な顔でこちらにちらちらと目をやってくる。そしておばさんが口を開くと
「せ、せ、1500円にな、なりましゅ」
ものすごい噛んでいる。というか動揺を隠せないといった感じだ。その瞬間僕は気付いた。おそらくセルフレジでもDVDの購入は可能なのだ。おばさん店員からしてみれば、午前10時のこの時間帯、セルフレジがガラ空きなのにも関わらず有人の方へやってきて、カウンターに置いたDVDは『婦女暴行の夏』と『快楽堕ち』。買い手は自転車を漕ぎ続け髪の毛ボサボサになった青年で、目の前でずっともじもじしている。これには何らかのメッセージを感じざるを得ない。そうか、僕は今、おばさん店員に、開店早々やってきてAVタイトルセクハラをかましてくる新種の変態だと思われている。
というかタイトルが『婦女暴行の夏』と『快楽堕ち』である。次はあなたですよ、といったメッセージを僕が放っているように見えたのかもしれない。
おばさんはもう完全に挙動不審といった感じだった。ありがとうございましたも噛んでいた。
新種の変態に間違えられるのは癪だから、「違う!俺は普通のAVではなく古いAVが朝から欲しくなっただけで、レジもセルフレジでは買えないと思ったからそちらに行っただけなのだ!」と叫ぼうと思ったが、それもまた別の変態を産み出しそうなのでやめておいた。
色々と面倒なことも起きていたけど、目当てのものは手に入れた。あとは家に帰ってパソコンのDVDデッキにこいつらを挿し込むだけだ。僕は意気揚々と帰路についた。

家に帰ると誰もいなかった。おあつらえ向きだぜ。僕はニヤリとほくそ笑んだ。僕は早速TSUTAYAの黒いビニール袋から『婦女暴行の夏』を取り出して、デッキにセットした。僕の胸は今にも弾け飛びそうにワクワクしていて、自転車走行の疲れも相まって性的欲求はピークに達していた。18歳の青年の持つ体力と性機能には目を見張るものがある。と僕は自分で自分を褒めた。男性の持つ性機能、これによって人生を何度も狂わされ、今日もまた狂わされた。何度もこいつを憎んだものだ。しかし、今日だけは違う。こいつがいなかったら、こんなに衝動的になって何かを成し遂げることなんてなかったかもしれない。ありがとうな、と僕は言った。こちらこそ、と声が聞こえた気がした。
そして僕はパソコンの画面に映る再生ボタンをクリックした。
xvideosで観たことあるやつだった。
抜いた。
寝た。

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