心に班長棒を突き立てろ

小学生の頃、班長棒というものがあった。
登校班の班長だけが持つことのできる班長の印。
班は完璧な年功序列で、6年生(班に6年生がいない場合は5年生)の班長を先頭とし、そこから5年生、4年生、、と順に並んで登校する。
班長の主な仕事は、班員たちが信号を渡らんとするそのとき、横断歩道中央の片側に素早く立ち、班長棒をできるだけ地面と水平に掲げ、班員たちが横断歩道を無事に渡るまで見守る、といったものだ。言うまでもなく班員たちの安全を担う重要な仕事。先に産まれてしまったものが背負う大いなる責任と重圧がそこにはあった。
ついこの間入学したばかりの、ケツの青い、小学校の小の字も知らないような新米小学生にとって、それは紛れもなく憧れそのものであり、権力の象徴だった。

班長棒は全長30センチほどの木の棒に校章をプリントした黄色い布を、タッカーでとめて作られたものであったと記憶している。いわゆる「緑のおばさん」が持っていたものと同じようなもので、小さな旗である。

そう、

班長棒は棒ではなく旗である。

僕も今日突然はた、と気がついて、今までそんなこと気にも留めていなかった自分に心底驚いたし失望した。
棒に取り付けられた布がはためいていたらそれは旗以外の何者でもない。
旗を見て棒をメインだと考えるやつは棒オタクか棒人間、棒観者、棒国の将軍、棒国から棒命してきた人、斜に構えてる人、くらいだろう。

班長棒は班長旗だった。
調べてみると地域によって「班長旗」「班旗」などと呼ぶようだ。埼玉の田舎でも都会でもない、方言もないベッドタウンで班長棒などという奇妙な呼び方が定着していたことは、ひどく気味が悪い。
教師たちは無邪気に班長棒と呼ぶ僕らを嘲笑っていたのだろうか。
それとも彼らは国会議事堂で国旗を見た際、「あ、国棒だあ」と言うのだろうか。
ジャンヌダルクが掲げる軍旗を見て「軍棒だあ、革命の棒だなあ」とのたまうのだろうか。
もしかすると彼らもまた、班長旗を班長棒と呼ぶことになんら疑問を持たなかったのかもしれない。幼い僕らにとって教師は絶対的な権力を持ち全てを決定する存在だった。だが実際は彼らよりもさらに偉い、班長棒という呼称を学校内で使用することを決めた連中がおり、さらにそいつらより偉い連中がいくつもいて、そいつらよりもっと偉い連中が班長棒という呼称を作った。
班長棒は親の拳骨よりも、受験よりも、就職活動よりも先に僕らに社会の理不尽を知らせてくれていた。ただ僕は班長棒の発するメッセージをちゃんと受け取ることができなかった。そのときはまだ。

小学5年生当時僕は飛び級で班長になった。
同じマンションに6年生が一人もいなかったからだ。
同学年で班長になるものは少なく、僕は選ばれし者の恍惚と不安を感じた。
選ばれし者たちはひとつの教室に集められ、青白く発光する水晶を額にかざし班長としての心得を叩き込まれたのち、校庭にて横断歩道を渡る際のシミュレーションを行う。
その後、肩に校章の焼印を押され、教師から班長棒を手渡されれば、ついに登校班・班長へと昇格を果たす。
しかし僕は喜べなかった。班長になった僕に襲い来るあまたの困難を見越して喜べなかったわけではない。
僕の班長棒はボロボロだったのだ。
布は今にも破れそうで、木の棒部分は至る所がささくれ立っていた。
権力の象徴がこんなボロボロでは決まらない。僕はトホホ、と言いながら徒歩で帰った。
そしてその後班長として登校することになった僕がした行為は、棒を与えられた全ての少年の例に漏れなかったと思う。
すなわち、引きずる、叩く、折ろうとしてみる、壁にガリガリやってみる、お尻の穴に入れてみる、お弁当を作ってみる、校舎裏に呼び出して告白してみる、付き合って1ヶ月経ってもうそろそろいいかなと思って心臓が飛び出そうだけど君の左手に僕の右手を伸ばしてみる、など。
そんな少年の中の少年だった僕は、真少年としてそのへんのガキが3日で飽きるこれらの行為を一年ほど続けた。
特に、登校路に存在するひとんちの壁に班長棒を押しつけ、歩きながらひたすら棒部分を削り続けるという行為には熱心だった。
棒部分をくるくると回しながら削ることで全面を綺麗に削るという技も習得した。
日に日にその家の壁に白い線が増えていったが気にしなかった。(先日通りがかったところその土地は貸倉庫になっていた。)
僕の人生において最初で最後の努力だったかもしれない。
そしてそれを半年ほど続けたとき、僕は班長棒の布がついている方とは逆の先端が完全に尖り、槍のようになっていることに気が付いた。それは班長棒でも班長旗でもなかった。旗としてではなく、槍としての機能を強調する美しい尖端だった。
そのとき、学年で、いや、学校内の班長の中で、僕だけが班長槍(はんちょうそう)を装備していた。
僕はそれで登校中現れた不審者や変態、テロリストを刺し殺す妄想をよくした。班長槍(はんちょうそう)という力を手にしても、班員を守ることを第一に考えていたあたり、責任感の強い子供だったことは想像に難くない。
もちろん槍の先端をさらに尖らせることも忘れてはいなかった。下校中まで削る行為に夢中だった。強さは自分で磨き上げることができると知った。
ただ、僕はその尖端を弱いものに向けたことは一度もなかった。賢い子供だったから、大いなる力の使い道をよく理解していたのだろうと思う。
僕はくる日もくる日も槍を尖らせ続けた。努力を決して諦めず、もはや習慣と化し、己を磨くことだけを追い求め、槍はどんどん研ぎ澄まされていった。そうして班長に就任してから一年が経つ頃、忘れもしないあの日がやってきた。

冬のある朝登校し、班長棒は教室前方にある専用のバケツのような容器に入れることになっているのでそこに放り込んだ。そうしてチャイムが鳴り、先生がやってきたのだが、彼はどうでも良いような話を数分した後、こう言い放った。
「もうすぐ学年が変わるから、一旦班長棒を回収するよ」
僕は絶望した。教師たちに班長槍(はんちょうそう)の存在が公になれば、彼らはそのあまりに強大な力を必ず封じようとするだろうと考えたからだ。
班長棒の布部分には班の名称(「第1班」など)もプリントされていたため、多くの班長棒はそのまま返ってくるはず。しかし僕の棒はほとんど凶器なので、返ってくる確率が他と比べて著しく低い。
そんなことを考えていると班長棒を入れる容器をまさぐっていた先生が「おーい!」と僕を呼んだ。僕はいよいよだ、と思った。今日が大いなる力が露見する日だったのだ。
僕が恐る恐る先生のもとへ近寄ると、先生は
「君の班長棒ボロボロだから変えとくね」
とさらりと言った。
僕は面食らってしまった。てっきり凶器を生み出したことを強く叱られると思っていたからだ。
僕が立ち尽くしていると班長棒を持ってそそくさと先生はいなくなってしまった。
その後、特になんのお咎めもお叱りもなく僕は新しい班長棒を手にした。1年間ボロボロの班長棒を使っていた僕は黄色く発光しているのではないかと思うほどの美しい布地やツルツルと滑る棒部分にめまいがした。
教師たちにとって、それは凶器でもなんでもなく、一年前と変わらない、ただの汚れた棒だった。
僕はその日から班長棒を削るのをやめた。

ただ今になって思う。班長槍(はんちょうそう)はいなくなってなんかない、と。
くる日もくる日も削り続けた日々は、僕の中にひとつの芯のようなものを作り上げた。強い意思と努力が僕の心の中の一本の槍となったのだ。そうして生まれた槍を地面に刺すと、吹く風が旗を揺らした。路上で黄色く輝く、いやに目立つボロボロのその旗を、僕はずっと見つけられずにいた。今僕は自分の中にその旗を見つけ出し、彼を削り続け、掲げ続け、そして理不尽に奪われたあの日々の、本当の意味を知ることができたのだった。
僕の心には決して折れることのない、信念という名の一本の槍がある。

その旨野良猫に話したところ、「にゃあ」と鳴いてどっか消えた。
槍は折れた。

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