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小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」 2
僕はねえちゃんの額に触れた。
「あやこ、あやこ」と呻きながら、じいちゃんがイリニウムの床に座り込んだ。病院が手配した葬儀屋が来るまで、それからあまり時間はかからなかった。
病院の裏口で主治医と看護師たちが見守るなか、僕らと姉ちゃんは葬儀屋の黒いワゴン車に乗り、そして見送られた。その晩、僕は姉ちゃんのそばから離れなかった。
じいちゃんは、わしも絶対寝んぞ、と言っていたのに、酒を飲んでいびきをかいている。僕は姉ちゃんの胸の上や枕になっているドライアイスが冷たくないか、重くないかと時々気にしながら、横になっている姉ちゃんのそばに座り、姉ちゃんの顔を見つめていた。
父さんと母さんが死んだとき、姉ちゃんは激しく泣いた。
姉ちゃんは15歳で、僕は11歳だった。
父さんと母さんの深夜のドライブは、姉ちゃんのアレルギーの薬を知り合いの薬局に分けてもらうためだった。姉ちゃんは時々ひどい蕁麻疹にかかった。全身の肌はもちろん、耳の中や白目まで腫れあがった姉ちゃんは、何かの呪いをかけられているように見えて悲しかった。
その日何がいけなかったのか、姉ちゃんはひどい蕁麻疹にかかった。ちょうど薬のストックがなく、深夜だったので、父さんは知り合いの薬局に電話して、なんとか店を開けてもらうように頼んだのだ。事故はその帰り道のことだった。
姉ちゃんは自分のせいだと、顔を真っ赤にして泣いた。
僕は、それは違うよ、姉ちゃんのせいじゃないよ、と言えるほど大人でもなく、無力で、姉ちゃんの傍らでヒステリーのように泣きじゃくった。ねえちゃんの肌はそれから激烈に悪化して、一か月もの間入院した。
退院して、姉ちゃんと僕とじいちゃんの三人での生活が始まった。
姉ちゃんはなんとか高校受験をこなし、じいちゃんは孫二人のために慣れない朝食を作った。ご飯とみそ汁と納豆。ときどき青魚を焼いてくれた。それはそれでおいしかったけれど、姉ちゃんと僕は母さんの作ってくれたオムレツやハンバーグが恋しくてしかたなかった。
姉ちゃんは食品によるアレルギーはほとんどなかったから、食べ物は基本的に好き嫌いがなかったように思う。僕は好き嫌いが激しかったが、じいちゃんの作ってくれるものに文句も言えず、このころにずいぶんと改善された。
高校生になった姉ちゃんは、料理の本を買ってはいろんなものを作ってくれるようになった。懐かしいクリームシチューやコロッケ、カレーライス。チャーハンにポテトサラダ。僕は母さんを思い出して、一口食べてはトイレにこもって泣いた。
「あやこはお母さんに似てきたなぁ」
ある時じいちゃんがそんなふうに言ったことがあった。
姉ちゃんはちょっとうつむいた。
ちょっとうれしそうだった。
僕は箸をくわえて、じいちゃんと同じことを思っていた。
高校の三年間に姉ちゃんは一度も蕁麻疹にかからなかった。
父さんと母さんが死んでしまった時のひどい蕁麻疹が最後だった。姉ちゃんは、父さんと母さんが自分のアレルギーを天国に持って行ってくれた、と信じていた。
ところが高校卒業式の日にひどい蕁麻疹にかかり、式に出席できなくなってしまった。僕はじいちゃんの言いつけで姉ちゃんの高校に行き、代理で卒業証書をもらい受け、胸の詰まる思いで家に帰った。
幸い四日後にはずいぶん引いたけれど、それから姉ちゃんはあまり喋らなくなった。
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