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小説「姉ちゃんと僕と、僕らのじいちゃん」5
「火葬場って、夏は熱いよね」
ユカが言った。「あたしも経験したよ。九州のおばあちゃんのとき。骨から湯気が立ってすごい熱気。熱くて近づけなかった」
僕とユカは公園のベンチに腰かけて、蝉の鳴き声を聴いていた。ここは木陰で、汗を冷ます風が通り抜ける。
「結局ゆうやのお姉ちゃんには一度も会えなかったね。一度くらい会ってみたかったけど。ゆうやはしょっちゅうお姉ちゃんのこと、話してたもんね。きれいなひとだったんだよね」
「きれいっていうか……」
僕はそこまで言って、うん、きれいだった、と言い直した。ユカはそれから少しの間、なにも言わなかった。そのときユカがどんな表情をしていたのか、僕は自分の足元の影を見ていたからわからない。
夏休みが終わる三日前、僕とユカは予備校の帰りにこの公園で待ち合わせてお互いの近況を語り合った。彼女と二人きりで会うのは久しぶりのことだった。
「受験、大丈夫なの?」ユカが訊いた。「ゆうやのおじいちゃんは大学行けって言ってくれてるんでしょ?」
「うん」僕は答える。「でもじいちゃんを放って遠くには行けないよ。じいちゃんは行きたいところに行ったらええ、って言うけど……」
「大丈夫よ。ゆうやのおじいちゃんは元気だもん。ほら、いつかゆうやの家の前で玄関から出てきたおじいちゃんにばったり会ったじゃない? おおゆうやー、おおカノジョかぁー、ええのーべっぴんじゃあ」
ユカはじいちゃんを真似て、ひとりでケタケタ笑った。それから真顔になって僕を見た。
「お姉さんのことは大変だったし、しばらくは悲しいだろうけど、ゆうやにはゆうやの未来があって、それは続いていくんだから。進学のこと、ちゃんと考えなくちゃ」
僕は黙っていた。未来なんて言葉は空々しく、嘘臭かった。死んでしまったらすべては終わりだ。僕はそれを知ってしまった。父さんと母さんが死んだときに理解していたはずなのに、本当の意味でわかってなかった。
死んでしまったら、すべては終わりだ。あの笑顔も終わりだし、あのオムレツのハンバーグも終わりだし、白い手は細い指先も、あの水を含んだような声も終わりだ。長い髪をなぞる癖も終わりだし、鏡を見つめながらリップクリームを塗る横顔も終わりだ。
近くで踏切が鳴った。やかましくて耳障りだったけど、サイレンが鳴りやむまで僕は体を固くしてやり過ごした。
ね、とユカが僕の腕に手を伸ばした。
「キスして」
僕らはこれまで何度となくこの公園でキスをした。もう慣れた行為だった。僕はもう、ドキドキすることなく女の子とキスができた。キスのあとで女の子の髪を優しく撫でることもできた。
僕はユカと唇を重ねながら、もう一度考えた。
いつの夏だったか、姉ちゃんが足の爪をピンク色に塗っていて、内心僕はとてもびっくりした。僕はテレビを観るふりをしながら、姉ちゃんのスカートから伸びる足を盗み見た。夏物のスリッパの先にちょんと出た姉ちゃんのピンク色のつま先。白い足はもっと白く見えた。かかとはもっと丸く見えた。
「もう!」
突然ユカが僕の体を押した。彼女は唇を噛んで、僕を睨んだ。
「キスしてるときくらい、お姉さんのこと考えないで!」
そう叫ぶと彼女はバッグをつかんで走って公園から出て行ってしまった。
僕は茫然とその後姿を見送った。
なんで追いかけてこないのよバカ! というメッセージが僕のスマホに届いたのはそれから30分後のことだった。僕はそのときにはもう帰るための駅にいて、構内を行き来するひとたちを眺めていた。
こんなに大勢、ひとはいるのに――
僕はぼんやりと思った。
なんで姉ちゃんだけが、いないんだろう。
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