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「四度目の夏」30
2046 年7月 27日 11:12
「ほいで、それと同時に」
よっくんが言った。
「にぃやんのあのいや奴、なんとか竜太郎ってやつも救ってやろうな」
ぼくは我にかえった。
よっくんがぼくを見上げる。
「は……? なんであいつなんか救わなくちゃいけないの?」
「おれたちはお釈迦様じゃないもん。善いやつだけを助けて、悪いやつは助けんてことにはならんよ」
よっくんが言った。
「いやだ!」
ぼくは首を振った。
「和也くんは、あいつのせいで校舎の三階から落っこちて学校に来れないくらいのダメージを受けた! いまだって生きてるか死んでるかだってわかんないくらいだ! それなのに、竜太郎やその仲間たちはいまも笑ってる。バカ笑いしてる。あいつらが死んでだれが困るっていうの? あいつらが生きててどんないいことがあるっていうの? あいつは死んでいいやつなんだよ! 世の中にはそんなやつだっているんだよ!」
「死んでいいやつってのが、世の中におるんな?」
よっくんがぼくを見つめている。その目はまだ一度だって誰かの死を願ったことのない目だ。
ぼくは急にいやな気持になった。
竜太郎が死んだって、ぼくは悲しくもなんともないだろう。
いやむしろ、死んでほしい。
死ねばいいのに。
「よっくんはそんなやつと出会ったことがないからわからないだろうけど」ぼくは言った。「世界には死んでいもいい悪いやつってのはたくさんいるんだ。死んでもいいやつっていうか、死んだほうがいいやつ」
「悪いやつがようさんおるから、地球がこんなのことになっとる、ってどっかの国の宗教のおっさんがテレビで言うとったわな」
「そうだよ! その通りだ!」
ぼくは叫んだ。
「竜太郎やあの取り巻きたちは死んでもいいよ。いやむしろ死んだほうがいい、そのほうが世の中のためなんだ。だってあいつらみたいな悪いやつらのせいで、神様だかお釈迦様だか地球の運命をつかさどる大きなものの怒りに触れていままさに人類が滅亡の危機なんだよ、きっとそうだ。そうだ! キプロスの人々が犠牲になったのだって、それってもしかしたら父さんの罪かもしれない! 父さんと香水の匂いをぷんぷんさせてるあの女が、身勝手に生きてきたツケが母さんとぼくだけじゃなく、たくさんの人々を巻き込んで苦しめてそして殺したんだ!」
ぼくは息継ぎのために大きく息を吐きだした。よっくんがぼくをじっと見つめている。
「なに……?」
よっくんが答えない。ただぼくを見ている。
「なんでそんな目で見るのさ……?」
「つか、にいやんの父さんはそんなに悪人なんか?」
キプロス——時刻にしてまだ夜が明ける前の、きっとふたりはスヤスヤと眠っていたはずだ。
もしかしたら、父さんは眠りの浅い人だったから目を覚ましていたかもしれないけど、それでもリゾート地の真夜中をきっとまどろんでいただろう。きっと、苦しんでない——悲鳴をあげる暇だってなかったかもしれない。
いや、その前に、警報とか鳴ったんだろうか。
住民たちは空の異常に気づいて騒ぎ立てたんだろうか。
そんな情報も今は伝わってこない。
「にいやんの父さんは、そんなに悪人かいな」
「だって……! どれだけ母さんが悲しかったか、どれだけぼくが苦しかったか……!」
「ほじゃけど、にいやんの母さんはそれでもなんでも、にいやんの父さんが好きだったんとちがうか」
バターの香りのするチョコチップスコーン。
忙しい母さんがぼくのために焼いた。
ぼくのため? ぼくだけのため?
「おれには、にいやんの父さんがそんな悪いやつには思えんのよ」
キプロス――
巨大飛行体が着地するまでの肉眼で真っ黒い夜空に確認できる短い時間に、人々は恐怖におののいていたかもしれない。空を覆いつくす黒い玉――ありえない光景だ。逃げ場はない。いつだって堂々としていた父さんは、人生で初めて震えたかもしれない。
でも、とぼくは想像した。
父さんは泣き叫ぶ妻を抱きしめたと思う。最後の最後まで——
瞼に力をこめないとこぼれてきそうだった。
奥歯を強く噛んで我慢しようとしたけど、だめだった。食いしばるくちびるの端から聞いたこともない、自分じゃないみたいな声がもれた。
「なぁ、にいやん」
よっくんが言った。
「こっからは、おれらにできることをするだけじゃ」
よっくんの顔がにじんでよく見えない。
本堂でがらんが鳴った。益司さんの読経が終わろうとしている。次の言葉を見つける時間すらない。
益司さんの朝日に照らされた笑顔を思い出す。ぼくの背中にその大きな手を置いて、益司さんは短い時間のなかでぼくの心を溶かした。白雲岳から臨む息を飲むような景色。見下ろすとどこまでも続く雲海——益司さんは白く広がる雲のようなみたいな人だと思ったことがある。羽のように白くて柔らかくて、それでいて大きくぼくを包み込む。
再びがらんが鳴った。
廊下に立つぼくらの足にまで響く。
「それにしてもよぅ……」
よっくんがその細い体をぶるっと震わせた。
「父さんがホクトマサキだったなんてなぁ!」
ぼくは両手で顔をこすった。そして二度頬を叩いた。
これからぼくは開いてしまったパンドラの箱を閉じる——ぼくは自分に言い聞かせる。
覚悟を決めろ。
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