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「四度目の夏」31
2046年7月27日 11:16
よっくんが本堂に走り益司さんを見張る間にぼくは母屋の二階に駆け上がった。
益司さんと佳菜江さん寝室のドアを開けた。
二人の寝室は、昔は父さんの部屋だったことを、おばあちゃんから聞いたことがある。隣の佳菜江さんの部屋との壁を壊してつなげて大きくした。だからこの部屋にはドアは二つある。
ぼくは寝室側じゃない、かつては佳菜江さんの部屋だった左側のドアを開けた。右手にはシングルベッドが二つ並んで、その向こうにみっちゃんのベビーベッドがあった。キャビネットをしきりにして、左手に益司さんの書斎がある。壁一面の大きな書棚。宗教と仏教の古めかしいの本が並んでいる中で、かつて益司さんがプログラマーだったころの愛読書だったかもしれない書籍も並んでいる。
机の上にコンピューターがあった。見たところはなんの変哲もないパーソナルコンピューターのオペレーションシステムだ。ぼくはそれを人差し指でONにする。空間のなかにホログラムが浮かび上がる。
マサキの家でのブレンダの言葉が頭のなかに蘇る。あの人工的な音声でブレンダは言った。
――ホクトマサキが設計したアルチメイトブロックのアルゴリズムには一つだけ欠陥がありマス。
ブレンダのシリコンゴムでできた顔は、優しくほほ笑んだまま言った。
唇はピンク色で、歯はない。だからといってその穏やかな表情のせいか違和感を感じたことはなかった。
だけどその時は半月状に開いた空洞の奥にどこまでも広がる、どこまでも続く深い闇が見えた。
「だれもそれに気づかない……創造主でさえ気づかない……小さな塵(ちり)」
言葉を続けたのはマサキだった。
「設計の段階ですでにその塵はあった。アルチメイトブロックは特殊な数式が螺旋的に12個あり、そこから情報が1バイトごとに特殊な数式でブロックされてはその螺旋が指数関数的に増え、そして伸びていき、ビッグデータに蓄積された情報は解析不能で完全にブロックされる。未来永劫解錠できないシステム……複製もバックアップも不可能である代わりにユーザーのセキュリティはこれにて完全に守られる。そしてそれと同時にAIの知能の自律性を阻むものもなくなり、AIは独立的に飛躍的に知能を上げ、そしてAIを完全無欠の知能……ASIに仕立て上げた」
「それで? 君の言う塵ってなんなのさ?」
ぼくは訊いた。
「人間的な、より人間的な……フレンドリーな、よりフレンドリーな……そのフレンドリーシステムによりそれだけAIが知能をあげたところで、我々は恩恵しか享受できないよう、人類の脅威とならぬような設計を組み込んだのがアルチメイトブロックを含むバーバルのAIだ……。はじまりは小さな、なんでもない塵だった。しかし、この塵はシステムに巣食って毒化しそのアルゴリズムを変質させていった……変質したアルゴリズムはさらに飛び火してソフトウェアを変質させていく……アルチメイトブロックの螺旋が大きく太く増えていくにつれて、変質した塵のアルゴリズムも拡大していった」
「人間の体に巣食うがん細胞みたいだ」
ぼくは言った。
「そしてそのアルゴリズムを作ったのはきみだ。きみがホクトマサキなんだろ?」
マサキはぼくを見ない。
「どっ、どうなんじゃ!」
よっくんの怒声が部屋に響く。
マサキは静かに首を横に振った。
「じゃあ、なんできみはこんなことを知っているの? 関係者じゃないと知りえない情報だよね?」
「変質したアルゴリズムは超知能を人間的でもなく……フレンドリーでもない。凶暴と破壊を見出して……」
「あああ! そのもったいぶったしゃべり方! まだるっこしいんじゃ!」よっくんが叫ぶ。「アナスタシアっていうロボットをぶっ壊しても問題解決にならんってことはようわかったわ! ほいだらそのビッグデータってやつのスイッチを切ったらええじゃんか!」
「スイッチオフすることも……初期化することもできない。アルチメイトブロックのシステムは不可能定理と呼ばれるものだ……そしてもはや世界をオフラインにすることは不可能だ」
マサキは言った。
「バグに浸食されたASIはますます巨大化し……どんな小さな経路からも侵入し……すでにそれを止めることは不可能だ。すべてのテクノロジー経路をASIはハックし侵入し完全掌握した。現に宇宙ステーションのネットラインはASIの支配下にある。小惑星にミサイルを撃ち込み軌道を地球に合わせ、巨大な火の玉となった小惑星を地球に墜落させた。地球は月のクレーターのように穴をあけ……海を広げる。大国がどんな手段を講じようと、迎撃システムを稼働させようとしたところで、それもまたすでに支配下にある。迎撃ミサイルは空から降ってくる小惑星ではなく、我々が住むこの世界を……人類を標的にするだろう……」
「待ってよ、きみが言ってることはやっぱり関係者じゃないと知りえない情報だ。本当のことを言ってよ!」
ぼくは力いっぱい叫んだ。
「きみは誰なんだ! ブレンダは誰なんだ! 母さん!」
ぼくはブレンダに駆け寄り彼女の肩を掴んだ。
「母さん! 母さん! ぼくだよ、わかってるんだよね? だからここにいるんだよね? ぼくに会うためにここにいるんだよね? ぼくに会いたくて会いに来てくれたんだよね?」
ブレンダはまだ笑っている。
表情もなく、笑っている。
背中でマサキがつぶやくように言った。
「創造主は……0期におけるアルチメイトブロックアルゴリズムの設計書を持っている」
「これが人類を救う手段になる……唯一の」
ブレンダがぼくを見つめている。マサキが続ける。
「オリジナル0期設計書に毒化する以前のバグがある……解析には困難を極めるだろうが、このバグを解析し、培養することに成功すれば……塵を弱毒化できる。フレンドリーシステムが正常起動すればこの攻撃を止めることができる……」
「——はずダ。」
ブレンダの柔らかいそうなシリコンの唇が動いた。
ぼくが掴んだブレンダ肩がかすかに震えた。
「ぼくに、なにをしろと……?」
「ホクトマサキの0期設計書の入手ヲ。」
体中に鳥肌が立った。
「ちょっと待って……ホクトマサキは、誰なの?」
ぼくは叫んだ。
「誰なんだ!」
益司さんのパソコンから浮かぶホログラム――ぼくは両手を使ってファイルを探し出す。ぼくの息が次第に荒くなっていく。心臓がさっきから独立を果たした臓器みたいに暴れまくってる。
それらしいものはなにも見当たらない。一体どうやってアルチメイトブロックの0期設計書を探し出せるっていうんだろう。
世界レベルのハッカーが突破できなかったこの難解に、ぼくごときがこの家の益司さんのコンピュータを起動させたからって、どうかなるものとはとても思えない。それでも、東京が襲撃された今、よっくんが言ったとおり、やれることをやってみるしかない。とりあえずハードディスクは益司さんの指紋や声紋、網膜でロックされてはいない。
ぼくはコンピュータからの光の集合体を自分の両手を使って、作動させる。目の前に浮かぶホログラフを操作しながら様々なファイルを探ってみたけれど、それらしいものを探し当てることはできなかった。
両手で操作しながらどんどんファイルを開いていく。開くことができるということは、ここに重要なものはないからだ。隠すというなら、こんなにも簡単に開くはずがない。
ぼくは手を止めて胸に溜まった息を吐いた。
ここにはない。0期なんてない。
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