ブレンダのサムネイル

「四度目の夏」3

益司さん

「今年はお父さんたちに会えなくて残念だよ。でも仕事が忙しいんだから仕方ないね。それにしてもここまでよく一人で来たね。えっと、いま何年生だっけ? 中……」
 益司さんが言った。
「中二です。この秋で14歳になります」
 ぼくが答える。  
「そうか。13なら一人でも来れるか。君は相変わらず細いけど、去年より背が伸びたな。僕も直に抜かれそうだ」
 
 そう言って笑う益司さんは父と同じく身長180センチを超えた大柄のお坊さんだ。といっても、益司さんは仏の道に入る前はエンジニアだった。
 母さんもエンジニアだった。母さんはその道では有名だったらしいから、益司さんは婿入りした寺で母さんと初めて対面したとき、驚いていたし、嬉しそうだった。

「ちょっと、玄関先で話さずに、中で話してよ。蚊が入っちゃう。こーら、よっくんみっちゃん勝手にお菓子出しちゃだめ。ああもう、食べちゃだめったら。晩ごはんが食べられなくなるでしょう!」
 佳奈江さんがみっちゃんを抱きかかえて縁側に引き上げた。よっくんとみっちゃんに破られたお菓子の包み紙が敷石にひらひらと落ちた。
「賑やかだろう?」
 ぼくは風で飛ばないうちに包み紙を掴んで、よっくんとみっちゃん、そしておばあちゃんと佳奈江さんの掛け合いを眺めたまま答えた。
「こういうの求めてやってきたんで。ぼくは一人っ子だから」
「君は彼らの良いアニキになるよ」
 益司さんがぼくの背中を押して中に入るよう促した。
「お邪魔します」
 ぼくは縁側の外から玄関に廻った。
 開け放したままの引き戸の天井に「杉盛」と墨で書かれた表札が掲げてある。ぼくは玄関に入り、スニーカーを脱いで中に上に入った。本堂とは渡り廊下でつながる別棟の社務所も兼ねた自宅だ。
 広い廊下、左には和室が続いて、それに面した縁側。縁側を抜けると本堂につながる渡り廊下になる。そして玄関の右に応接室。その奥に子どもたちのための遊戯スペース(おもちゃはほとんどなくて、木製の積み木と絵本だけがたくさんある。ゲーム類は全然ない)、それを超えた向こうに食堂とキッチン。左にはおじいちゃんとおばあちゃんの寝室があり、二階が佳奈江さん一家の居住スペースだ。
「荷物はそれだけ?」
 佳奈恵さんが訊いた
「はい、リュックのこれだけです」
「男の子らしい少ない荷物ねぇ。去年のあのひとはすっごい大荷物だったから」
「これ」
 ばあちゃんが佳奈江さんをたしなめた。佳奈江さんが舌を出した。「あのひと」というのは父さんの新しい奥さんのことだ。
 
 大きなキャリーバッグを二個、あの石坂を押して運んだのはぼくと父さんだったが、その中身はあのひとのものばかりだった。毎日取り替える洋服に化粧品、田舎の食事は合わないはずと、高機能インスタント食品にフリーズドライのスーパーフード。玄関先であの人の鼻にいきなりカナブンが飛んできたものだから白雲岳に響き渡る悲鳴を上げてバッグを投げ飛ばし、しまいにはピンヒールが災いして転んでしまった。

「ここで過ごすための準備は完璧だったはずなんだけど、唯一、防虫スプレーだけ忘れてたんですよね」
 ぼくは言った。
「まぁ無理もないさ。ここはかつては修験道だった白雲岳だもの。東京の人間じゃなくたって、この田舎の山奥は適応できないものだよ。この僕だって、ここに養子に来る前はそこそこの都市部に住んでいたし、こんなところが日本にまだあったのかってカルチャーショックだったよね」
「それがよかったんでしょ?」
 佳奈恵さんが益司さんに言った。
「君がよかったんだよ」
「あら」
 佳奈江さんがそう言うと、二人のいとこたちが口々に「あら」「アラ」と面白そうに真似をした。
「そんな白雲岳だけど、何年も掛けて宅地造成して数年前にはこのさきに別荘地ができたからね。バスもこうやって一日一本とはいえ寺の前まで通るようになったし、ふもとの人たちだけじゃなく、別荘地の方々の檀家さんも増えた。ときどき、写経や説法会に別荘地の人たちも何人か来てくれるようになったしね」
 あいつも来る? とぼくは聞こうとして口を開きかけたらリュックの中のタブレット端末がうなり始めた。
『無事に着いたか?』
 10インチのタブレットの画面に父さんが映し出された。
「着いたよ、ほら」
 両手でタブレットを持って、そのレンズからぼくと周囲を映す。
「父さん、おばあちゃんだよ」
 ぼくはおばあちゃんにタブレットを手渡した。
「はぁい」
 おばあちゃんがモニター画面に向かって父さんに言った。とたんに父さんの奥さんが声を出した。
『お義母さぁん、今年はそちらに行けなくてスミマセーン!』
 赤いビキニでサングラスを掛けたまま画面に出てきた。
「ええわぁよ。ギリシャのキプロス島だったっけかねぇ。気をつけてはねむーんばかんすを楽しんでちょうだいよ」
『あら、ここがキプロスってわかります?』
 サングラスを額にひっかけながら周囲を見回して言う。
「わからんわよ。かわいい孫からキプロスって聞いたわいよ」
『だってあの子いっしょに行かないって、どうしてもおばあちゃんのおうちに行きたいっていうものだから…もう、パパの仕事忙しいってことにしたのに、まったくどうしてそうお喋りなの。やだお義母さん、キプロスって英語が通じなくて不便なとこで…』
「自動翻訳アプリあるでしょに」
 おばあちゃんが小声で言った。
「あれ、お義兄さんたち海外にいるの?」
 おばあちゃんが無言で益司さんにタブレットを渡した。
「あ、どーも、今年も美味しい目黒黒豆ケーキをいただきましてありがとうございます。チビ達があっというまに開けちゃっていただいとります」
『あ、どーもご無沙汰してます、えっと、なんてお名前でしたっけ?』
「益司さんだよ!」
 ぼくはたまらず横から声を出した。
『ああマスジさん、あなた、マスジさんよ』
 奥さんは父さんにタブレットを渡してその腕に細い腕を絡ませた。その指には父さんがプレゼントしたゴージャスなダイヤモンドが光っている。手入れの行き届いた派手なカラーのネイルにはいくつものラインストーンがくっついていて、ぼくはあらためて不思議な気持ちになる。長い髪をいつもひとつに三つ編みをしていた地味な母さんと真逆だ。
『どうも益司君、この度は息子が一人でそっちにいくって聞かなくてね。悪いけど彼を頼むよ。本堂の掃除でもなんでもさせてやってくれ』
 父さんがまぶしそうに眼を細めて作り笑いをする。その横で笑う派手な化粧の女。
「いえいえ、こっちはチビ達が楽しみにしてましたよ」
 益司さんがタブレットのカメラをこっちを向けたので、「父さんもお母さんもハヴアナイストリップ! じゃーねー」と手を振った。
「だ、そうです。はい」
 益司さんがタブレットに向かって繋いだ。
『お土産買って帰るからー。じゃ、よろしくね!』
 女の声がして、ビキニから胸の谷間が揺れてタブレットの映像が切れた。
「正直に旅行と言ってくれてよかったのに。お義兄さん、電話では仕事が忙しいって言ってたから」
 益司さんはタブレットを返しながらぼくに言った。
「本当は父さんがこのお寺を継ぐはずだったのを、父さんの勝手で東京に出てって、母さんと結婚して、めったにこの田舎にも帰りたがらないから、そのうえ享楽的なことが大好きな人だもん。そういうの、この家の人に話しづらいんじゃないかな。とにかく働くか遊ぶかどっちかの生活が全てだからさ、ここでゆっくり早朝の雲海を見て、朝日に反射する白雲岳を拝もうなんて思っちゃいないんだ」

「新しいお母さんはともかく、君の父上はそうでもないんじゃないかな。三年前に突然君と君のお母さんを連れて突然帰ってきたのにはみんなびっくりしたけどね。きっと息子である君に寺とこの白雲岳を見せたかったのだと思うよ。自分が生まれ育ったルーツをさ」
 益司さんが言った。

 ぼくはすこし考えて、でもその考えはまとまりそうになかったので「さぁ、どうだか」と首をかしげて見せた。

いいなと思ったら応援しよう!

若月香
最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。