スポーツが持つ「懐かしさと喜び」に目を向ける
2020年あけましておめでとうございます。新年最初のnoteも、いつもどおり淡々と書こうと思います。
山梨の実家でこのnoteを書いていて、今日移動の特急電車の中で「数学する人生」という本を読み始めました。
数学者 岡潔さんの講義や書籍をまとめた本ですが、冒頭で編集者の方がまとめていた内容が印象的だったので少し長いですが引用します。
晩年になっても、岡には様々な感情が渦巻いている。特に、自我意識の肥大化と物質的欲望に溺れていく時代に対する怒り、嘆き、悲しみは、年を経るごとに募る一方である。自他を超えて「通い合う心」の中にこそ生きる喜びがあると確信していた彼にとって、自我を全面に押し出していく社会の傾向は、何としても修正されなければならない時代の誤ちであった。
人は本来、ただそこにいるだけで懐かしいのだと岡は言う。「懐かしい」というのは、必ずしも過去や記憶のことではない。周囲と心を通わせ合って、自分が確かに世界に属していると実感するとき、人は「懐かしい」と感じるのである。だから、自他が分離する前の赤ん坊にとっては、外界のすべてが懐かしい。その懐かしいということが嬉しい。
生きているという経験の通奏低音は「懐かしさと喜び」なのだ。これが、岡の根本的な信念である。
読み始めなので「そうなのかぁ、そうだよなぁ」とか浅い腹落ちしかしていないんですが、ふとこれってスポーツが持つ原始的な価値だよなぁと思ったんです。
このnoteでも書いているように、僕はスポーツの価値を「日々の生活から解放させてくれること」だと考えています。でもこれは現代社会におけるスポーツが持つ固有の価値で、相対的に考え出したものなのかもしれません。
スポーツは元々遊びで、その中で相手と対戦したり競い合ったりしているわけです。サッカーでゴールを多くとって勝つとか、100m走で相手に競り勝つとか。陸上や水泳で自己記録を追いかけることは、計測器具が発達した近代以降にできた価値だと思う。
相手と勝負する遊びが根源にあり、もちろん相手がいないと成り立たないものでした。相手と対戦する以上、そこには敵味方問わずコミュニケーションが生まれます。
それを無理やり「数学する人生」の話に当て込めると、スポーツの遊びの中にあるコミュニケーションは「通い合う心」であり、「懐かしさと喜び」を感じられる瞬間なのではないかなと。
実社会に対するスポーツの価値を見出しそれを高めることも大切だなと思う一方、スポーツが持つ原始的な価値にも目を向けてみるのも良いなと感じた、特急電車での僕でした。
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