僕の周りの人が言う「勝ち負け」は他人との競争だけではない。信用経済に向かういま思うこと。
西野亮廣さんの「新世界」を読みました。
Wasei Salon含め僕の周りでもよく話されているようなことがまとまっていたような一冊でした。貨幣経済から信用経済へ、とかね。
本書でも書かれているけど、これまで当たり前だった「お金の流れ」を改めて見つめ直して、絶対ではないことに気がつく。クラファンとかフレンドファンディング(Polca)だとか、スキルや時間の渡しあい、直接の物々交換。様々なお金の流れが出てきたし、お金の本質を捉えた流通のカタチも見えてきています。
正直者でピュアで良い人が報われる世界になりつつあると僕も思っているし、周囲でまさに体現している友人もたくさんいる。決して短期間の損得勘定で動いているわけではない。
自分が「やりたい」「チャンスだ!」と思ったことをとことん突き詰め姿がとにかく応援される一方で、「このまま突き抜ければ勝てる」とかけっこう勝ち負けで語る友人も多くて、ちょっと違和感を感じていた。あれ、それぞれがスキ追求する世の中だと言っているのに、けっきょく競争社会なの?
ここしばらく考えていたことで、なんだかわからないけど西野さんの「新世界」を読み終わったらすーっと頭の中がスッキリとした。
「勝ち負け」を語るのは、やはり半分はまだ競争社会なんだからだと思う。ポジション取り合戦、いかに自分が目指す山を見極め早く登り切るか。勉強不足だけど、資本主義の社会構造上ある程度は仕方ないことだと思う。
こちらが気づきの本質なのだが、「勝ち負け」を語るもう半分は、他人との競争ではなく自分との勝負に対してなんだと思った。
自分が「これだ!」と信じたことを追求し続けられるのか。信じた山が険しくても諦めずに登りきれるのか。自分が決めた人生を自分が信じ続けられるの勝負なんだと思う。他人との競争ではない。
僕の周囲の人はそれを意識しているのかはわからないけど、同じように考えているんじゃないかなぁと思う。わからないけど。
そんな気づきを得られた一冊でした。この一冊で得た気づきじゃなく、結果的に着地したのがこの一冊だったんだけど、それも運命的だなとということで。
そんなかんじ。
P.S.
日付変わる前に更新したくて、下書き文章を一回公開するズルしちゃいました。
ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。