私という存在の認識を、私は結局枠に当てはめている。
tomovsky「骨」、これが私のこの2年間の本音に似ている。
これからは、こっちでその欲求を捨て去れるまで。そう自分が木っ端微塵になったうえで、自分の再構築をはかる。
私は自分のInstagramにリンクを載せている自分の名前でやってるnoteの中で、結局人に見られるための、自分の虚像を作り出している。 こうゆうふうに思う人として見られたいという自意識が見え見えな文章ある。 本当にくだらないと思う。