ライターが関わる3人分の興味関心
ライターって、面白い仕事ですよね?そう思いませんか?そのことに関して、面倒くさい5800字ぐらいの思いがあるので読んでいただけますか?
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フリーランスでライターや編集をやっていますたびちんと申します。普段は北海道にて暮らしつつ、リモートで主にBtoB企業のコンテンツ発信のお仕事をさせてもらっています。ディレクション仕事などもあるのでライター専業ではないものの、ライターをする際にはインタビュー記事をよく執筆しています。
今回は、最近思っている抽象的なことをつらつらっと書くだけなのですが、誰かの参考になったら嬉しいです。具体的なTipsではなくてマジすみません。
こちらの記事はライターアドベントカレンダーに参加しています。ライター仕事について、私以外だと24通りの切り口とライターへの向き合い方があり、私も非常に勉強になりました。今回の記事はアドベントカレンダー参加者のみなさんの記事に完全に影響を受けた状態で書いています。ライターを目指す方やライターという人たちに興味がある人は、とりあえず各記事のリンクを24個ブラウザのタブで開いてバシバシ見ていってほしいです。きっと今気になっている話題や視点に出会えるのではと思っています。
私はライターアドベントカレンダーを主催するライターギルトblanks(読み:ブランクス)に所属しています。来年もきっといろいろなことをやっていくので、ぜひぜひフォローいただけたら嬉しいです!
文章は、どんなに私的なものだとしても客観性を持つ
文章ってのは恐ろしいですよね。まあクリエイティブなことをする人はおしなべてそうなのですが、生まれたものはその瞬間に自分の手を離れてしまい、他の人にも理解可能な形になります。日記であれば自分の管理下のデータとはなり人に見せることはほぼありませんが、もしそうしたければ人に見せることもできます。
文章は生み出された瞬間に、誰かに見てもらう運命にあります。それはすなわち、客観的な視点が常にそばにあるということ。客観性を持つ存在が、文章というものなのではないかと私は思います。
また、文章はその特性上、ワールドワイドに伝わるものではありません。万人にある程度のニュアンスが伝わる音楽や絵画、映像とは違い、同じ言語を操る人たちだけがわかる、圧縮された意味の連なりとなっています。
圧縮されているので、受け手の頭の中で解凍するときにそれぞれ形が違うものになる可能性があります。「りんご」という文字面を見て、ある人は果物を思い返し、ある人は椎名林檎を想起します。「イノベーション」は?「自分らしい生き方」は?どのように受け取るかは、相手の自由。その想起してしまうものに対してのコントロールは、できないと言った方がよさそうです。どのように論理展開を美しくしたとして、読み飛ばす人は必ずいます。
誰かに伝えるために。多少間違って伝わる人がいたとしても、できるだけ意図と近い形で理解してくれる人に届けたい。だからこそ、受け手が不確実なインターネットを含め、不特定多数の人に向けて、文章を置いておくのだと思います。
※めちゃくちゃ抽象的な話を続けています。難しかったら飛ばし飛ばし読んでください。これを見ているあなたに、どう読むかの主導権は完全に与えられているので。
ライター仕事で、「自分」はどこに現れるのか?
さてさて、そんな受け手にとって受け取り方が変わってしまうという文章というもの。それを仕事にするライター(そして編集)は、底知れない魅力があるのではと思っています。
※今回は小説家や技術的なライターについてなどは、私が知らない領域であることもあり、当てはまらないことがあるかもしれません。
ライターと一言に言っても、その担当する領域は無限大です。ただ、どんな方でも共通するのは、たたき台を作る力なのではと思っています。
実務としてのたたき台を作る力
記事は、まだこの世にないものを作っています。もしもうあるものと一言一句変わらないものを作るのだとしたら、それは不誠実極まりない。
ライターは、ある意味、誰も挑戦したことがない領域を担当している訳です。もちろん参考となる資料はたくさん集めはするのですが、記事になると唯一無二の存在になるのではと思います。
記事作成力は、「こういったものはどうだろう?」というたたき台を作る力と似ています。もちろん仕上げるのもとても大事な工程ですし、知れば知るほど面白い領域です。とはいえ、たたき台が作れないことには、冒頭の一段落も書けません。仕上げることもままなりません。
仕事で書く文章が、最初から完璧なものになるはずがないのです。自分の文章を仕上げることもそうですし、さらに私たちが完成だと思った原稿も、私たちのコントロールを離れていきます。仕事を依頼してくれた方が活用できる文章である必要があるからです。
もし完璧に近いものが作れる人がいたら?それはこれまで作ってきたたたき台の数が尋常ではないんだろうなという気がしています。文章量もそうですし、コミュニケーション量という目に見えないたたき台を経由して、その品質ができあがっているものだと思っています。
文章は誰にでも書けるし、読めるものではある。ただその第一歩を、はじめてのひと文を生み出すためには、膨大な試行錯誤の上に成り立っています。また、生み出した後も試行錯誤の材料となります。
かならず変化するであろう、もしくは変化を存分に経験してきた制作物。それが文章なのではないかと思っています。
それを生み出す人々、つまりライターは、変化を生み出し受け入れる、ある種の勇気が必要な職業なのではないでしょうか。
発信者としての自分、フィルター機能としての自分
じゃあ勇気のよりどころやモチベーションって、一体どこにあるんでしょう。それには2種類あると思っています。ひとつめは「このテーマを発信したい!」という発信者としての心意気。そしてふたつめは、「このテーマのことを私を通じて形にするとどうなるのだろう」というフィルター機能としての興味関心、の二つがあるのではと思っています。
ライターという職業を語るとき、この発信者とフィルター機能どっちもが混在し、たびたびライター自身がキャリア上の混乱を起こします(私もなりました)。
自分主体で伝えたいことがあるからライターになる場合だと、エッセイを書くことが主戦場でしょうか。私個人の話で言うと、自分で自分の視点について書くことに、長らく苦手意識を持ってきました(今ド抽象的な文章を書いているやつが何言うねんという話ではありますが)。
「自分が語れることがないとライターとしてはまだまだなのではないか……。」
そんな意識に苛まれ、文章で陽キャ部分を出し、飲食店をレポートするも、「この美味しさが伝わらない」と布団をかぶる。そんな日々がめちゃ多かったです。
言い換えれば、発信者の立場になろうとすると、自分が何を伝えることに価値があるのかわからなくなるという現象が起きます。それです。それが自信喪失の原因です。
でも安心してください。何を伝えたらいいのかわからない段階で、何かを伝える必要はありません。その段階で出された文章は、読んだ側にももれなく伝わりません。確信が持てない段階では、たたき台すら作ることはままなりません。なのでその場合は、視点を変えましょう。
思いじゃなくて、情報を伝えるのです。
あなたの視点や思いは、価値があると思ってもらえる人には有益なのですが、あなたのことを知らない人にはまったくもって「誰?」となります。ただ、情報を正しく伝えるということにフォーカスするならば、きっとたたき台が仕上がってくるのではないでしょうか。
この情報だけを伝えるスタンスを、私は「フィルター機能」と呼んでいます。フィルター機能が一定以上できる方は、それこそプロです。
ただ、このフィルター機能ばかりをやっていると、「なぜ私はこの情報を伝える作業に、自分の時間を膨大に使っているのだろう?」と、唐突に虚無の時間を迎えることになります。
フィルター機能を担う場合は、そこに自分が学べることがある、もしくは量をやることが大事と位置づける、など、実施した先に何があるのかを考えておきましょう。後付けでも良いので何か理由があると、健やかになれます。
自分が関わることで、最終的に自我がささやき始めるのがライターの厄介で楽しい部分だなと思っています。まあ仕事に取り組む理由、全般がそうなのかもしれませんが。
ライターは、3人分の興味関心を受け止める仕事
誰かから依頼をされて仕事でライティングをする場合、私は3人分の興味関心を受け止める仕事だと思っています。知的好奇心や見えている景色、影響範囲とも言い換えてもいいかもしれません。
発注者
一人目は、発注者。このトピックが文章になった姿を見たい、と発注してきてくれています。最初から完璧なものにせよ、対話を重ねて作っていくにせよ、誰もまだ見ぬ文章の形を求めて発注してきてくれるわけです。
その前後に、発注者にはさまざまな事情があります。大きくは発注前と発注後に分けられるでしょう。
発注する前。どのような会社の状況で、どのようなプロジェクトのフェーズがあり、関係者は何名で、どんなメンバーがいて記事を作ろうとなったのか。経緯があるからこそ、発注の意思決定があります。経緯の理解なしに、たたき台がうまく作れることはありません。
また、文章を世に出した後。PV、インプレッション数、読者の反応も興味の範囲ではありますし、その記事を読んだ読者の変化を見たい方もいるでしょう。文章を世に出した後、どれぐらいで何の実感を得たいのか。発注者側にその指標が明確にある場合は、教えてもらう方がその後の動きもスムーズです。
ライターとして仕事に参画する以上、発注者の興味範囲を把握し付き合っていくことは必要です。すべてを把握してもよいですが、膨大な時間がかかります。ときには、周辺事情を把握せずに納品まで進めることももちろんあります。とはいえ周囲にどのような関心と意思決定要因があるかを理解しておくことは、その後の別の仕事でもかならず活きてくるのではと思います。
読者
二人目は、読者です。仕事で扱う文章は「このたとえ話は伝わるのか伝わらないのか」「この用語はすぐわかるのか」などいちいち伝わるのかの判断が挟み込まれていくものです。とても面倒くさいですね。
とはいえ、そうしないと、そもそも届ける先に届かない。読まれもしなければ誤解もされない状況が生まれます。さらに、その文章が伝わるかどうかは、世に出してみないとわかりません。文章は、まだ見ぬ特定の誰かに伝わりたいという意思を持つことで完成します。というか、それ以外に文章を作るよりどころがあまりないのではと思います。
とはいえ、読者がどれだけの知識量でその文章を読むのかを、把握できる手段はそう多くありません。定量的に観察されていることは稀で、大抵は似通った領域の文章を読んでいくことでなんとなく把握できてくるものです。読者の人が読みそうな記事を読んでいくことで、彼らの興味関心の幅も理解していきます。そして、読者が誤解しそうな文脈や用法も学んでいくことでしょう。それが記事タイトルや見出し、本文にも影響していきます。読者の興味関心を受け止めることは、そのまま記事の完成度にも直結するのではと思います
自分
最後は自分です。書く記事と、自分の興味関心が合致していなければ、非常に書きづらい仕事となります。興味がなければ、発注者と読者へも注目しようがありません。自分が元々興味関心を持っていたものを、これから書くトピックにどのような関連があるのか。自分との関連性を見つけ出すという仕事は、書く作業の前に、というか仕事をやると決めたときから始まっています。
もし、純粋にライティングをお金のためにやる人がいるのであれば、それはむしろライティングじゃない方が儲かるのでは?とすら思います。単純に見れば、リサーチを含む知的な労働時間と、時給換算した場合の時間の釣り合いがとれていないのではとも思っています。
だからといって、私はライター仕事が間違っているというつもりはありません。ライターが個々人できめた定性的な報酬を受け取るからこそライターという職業が成り立っているのではないでしょうか。やりがいとか、意味を自分で見いだせないと一定以上の期間は続けていけないものだと思っています。だからって低い報酬で全員ががんばる理由はないかと思いますし、企業側が安い金額で発注していい理由にはならないとは思っています。やりがいや関わる意味はその当人が見いだすべきものであって、誰かが押しつけるものではありません。
ライターは多くの時間と労力と知的な関心を投資してその職業を成り立たせています。発注側とライター側が、お互いに良いバランスをとりながら仕事として成り立っていってほしい、と心から願っています。
とはいえ、ライター仕事は面白い。何かしらの自分の学習と成長と生き方に関わるからこそ、書く仕事は面白い。労力と時間と知的な判断力を投資して、それ以上のものを受け取っていると感じられることが、書く仕事を続ける理由なのではないかと思っています。
さいごに
少なくとも3人分の知識量と興味関心を受け止めながら、何かを作り上げていくということは途方もないことです。そこに挑戦していくライターは、私は個人的にすごいなと思っています。誰でもできることではありません。今回、アドベントカレンダーを書いているライターのみなさんもそうですし、これを読んでいるライターのみなさまの、心が折れることがないように祈り続けています。そして、新たにライターになろうとしている人には、めちゃくちゃ歓迎をしたい。この厳しくも、誰も見たことのない文章を作り出す仕事を、一緒にやっていきましょう。
ライターは孤独な仕事ではあるものの、一人ではありません。うっかりこの道で私と出会うことがあれば、肩を叩き合って、抱き合い、互いを激励しましょう。
読んでいただいた方でもっと喋りたいと思った方は遠慮なくTwitterにて声をかけていただいたら嬉しいです。
今年アドベントカレンダーに参加したすべての方々、本当におつかれさまでした!
来年も楽しく書いていきたいですね。良いお年をお迎えください!
(カバー画像:UnsplashのRobert Byeが撮影した写真)