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この子にとって『最適』って何だろう?

「最適」って、一体何なのでしょうか。どれだけ考えてもよくわかりません。「最も適している」という言葉は、どこかに確かな正解が存在するように感じさせます。教育の現場でその「最適」を決めるのは誰なのでしょう。教師でしょうか。AIでしょうか。それとも、学びの中心にいる子どもたち自身なのでしょうか。

ボクたちが「これが最適だ」と断言することが、その子の未来に本当に役立つのかは慎重に考える必要があるでしょう。AIが膨大なデータをもとに「これが適切だ」と示してくれることもありますが、その判断が子どもの可能性を狭めてしまう危険性がないとは言い切れません。過去のデータに基づく分析は有用ですが、未来を切り拓く力を持つ子どもたちを見通すことができるのかは考えものです。

子どもたちの真の学びや成長は、「計画通りに進む」ことだけで得られるものではありません。むしろ、予想外の出来事や試行錯誤の中にこそ、その芽が潜んでいます。うまくいかない経験や迷い、立ち止まる瞬間など、それらを乗り越えたとき、子どもたちの中に新たな発想や挑戦する力が生まれます。「最適」という枠組みに押し込めてしまうことで、こうした学びの貴重な機会を奪ってしまうかもしれません。

決して、「最適」とは固定されたものではありません。子ども自身が歩みながら、自分のペースで見つけ出していくものです。昨日「これが良い」とされていたものが、今日のその子には合わないかもしれない・・と、変化し続ける子どもたちにとって、柔軟さこそが大切です。その変化に気づき、受け止めて支えることが、ボクたちの役割なのだと思います。

ボクたちは、正解を与える存在ではありません。むしろ、子どもたちが模索する過程をそっと支え、寄り添い、ともに歩む存在であるべきです。その中で、子どもたち(その子)が「これだ」と思えるものを見つけられる環境を整え、一歩を踏み出す背中を押す。それが、教師の大切な役割ではないでしょうか。ボクは、そんな教師でありたいものです。

さらに、ボクたち自身が問い続ける姿勢も重要です。「この子にとって、今必要なことは何だろう?」と自分に問いかけることで、子どもたちの小さな変化や未来に向かう意志に気づけるはずです。そして、「そもそも最適とは何なのだろう?」という問いを持ち続けることで、教師自身も目の前の子どもと共に学び、成長することができるのだと思います。

子どもたちは他者と関わり合いながら学びを広げ、「うまくいかない」を糧にして成長していきます。その姿を温かく見守ることは、教師という存在にとっての大きな喜びであり、ボクたちが子どもたちとともに探究する理由でしょう。「教師という存在」と括らなくてもいいですね。単に、やはりそこが人としておもしろいところでもあります。

「答え」を急がず、一人ひとりの違いや個性を受け止めながら共に歩む。その積み重ねが、子どもたちの未来を拓く鍵になると信じています。ボクたちは、子どもたちと共に歩む中で、正解のない豊かさを知り、人としての学びを深めていくのだと思います。

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