2ヶ月目、ウソをつけない海
最近、「こんにちは」のように「慣れた?」と聞かれる。
移住して2ヶ月が経った。「まだ2ヶ月か」という気持ちが強いが、慣れたかと聞かれたら「生きてはいるが」という感じだ。とはいっても、そんな回答では気を遣わせてしまうので「ぼちぼちです」と答えるようにしている。
移住と言ったが大阪にも家を置いてる身なので、私は月に1週間ほど大阪に帰る。1日に2本、片道3時間半。朝5時半に起きれたら昼前に大阪に着くのだが、荷造りすら当日までできないタチなのでいつも昼前の便に乗る。
先日大阪に帰った。1ヶ月ぶりに。新大阪でバスを降りて、JR線へ歩く。久しぶりのエレベーターに、冒険の始まりのようなものを感じた。マクドナルドを横目に改札口まで。都会は「駅ついたぞ!」から改札までが遠い。南口とか北口とか、そういや東京の新宿駅には新南口とかあったよね。あれって隣駅の代々木駅のほうが近いらしい。意味がわからん。
電光掲示板を見ると1分後に電車が出るとのことで走った。電光掲示板を見るのも、ICOCAで自動改札を使うのも、1ヶ月ぶりだ。残高があってよかった。用事があったので、最寄駅の1つ手前で降りて歩くことにした。
田舎の人は歩かない。自然の中を駆け巡るんだろうな〜!とか思ってたけど、どこに行くのも車だし(私は持ってないが)、一駅歩くなんて言ったら2時間とか平気でかかる。歩かないどころかジムもヨガもピラティスも当然ないので、こっちの人はどうやって健康維持をしてるんだろうと不思議に思っている。この問題はまだ解明されていない。
金曜の夜は知人とワインを飲みに行く約束をしていた。待ち合わせをして店へ向かう。田舎の1年分くらいの人とすれ違うのに、誰も私のことを知らない。こっちだと、「昨日どこどこにいたよね」は日常茶飯事だし、飲みに行くのも店が限られるので隣席が職場の同僚だったりする。最初は「自由がねぇな!」「すきにさせておくれ!」と思ってたけど、なんかそれも馴染んでいくものなんだなと気づいた。
結局終電を逃してしまい、タクシーで帰ることになった。都会は容易に夜が深いことを忘れさせてくる。なにせ明るい。太陽に照らされるより、店の看板や広告に照らされてるときの方がイキイキしている。俺らの本気はこれからだぞという顔をする。
都会は終電を逃しても誰も何も言わない。「昨日遅かったわね」という隣のおばちゃんもいないし、「玄関くらい片付けんかあ」という祖母の突然の訪問もない。自由である。
結局1週間弱、大阪にいた。「お弁当を持たなくてもコンビニや飲食店がある!」とか「大きな本屋さんで気になってた本が試し読みできる!」みたいな感動がいくつもあった。会いたい人には連絡すればすぐ会いにいけるし、調子が悪いと思ってたスマホも大阪では問題なく使えた。うちの電波のせいだった。
バスに揺られて帰路に立つ。なんか色々と忙しなかったな、とぽーっと数日の思い出を振り返りながら復路3時間半を過ごす。役場へのお土産や買いたかった本で、スーツケースはぱんぱんだった。(本は5冊も買ってしまった)久々にコンビニのコーヒーが飲めて嬉しかった。
バス停から家までは徒歩15分ほど。寂れた商店街をガラゴロとスーツケースを引いて歩いた。今日はケーキ屋さんやってるのかな、もう閉めちゃったか。イヤホンをつけず虫の声を聞いた。慣れなかった駅からの道も、グーグルマップがなくても家まで帰れるようになった。
1週間ぶりに家の扉を開けた。ふわっと木のシワい香りが漂う。波の音が聞こえたので、荷物を置いて浜まで歩くことにした。ザザーンという音が徐々に近くなっていく。潮の香りがして、すぐに海が見えた。すでに太陽は沈みかけていて、水平線の上をオレンジのベールがまとっている。
「あ、私帰ってきたのか」と思った。その自然発生的な感覚に、自分の帰る場所が変わりつつあることに気がついてしまう。肩の力みが緩んで、胸いっぱいにこの町の空気が入り込む。大きな海が私を包み込み、数日前と少し違う表情で、それでいて同じ広さで、私を迎え入れた。困ったな、海の前ではウソがつけない。
移住2ヶ月。私はまだこの町に片足を突っ込んだ程度の人間で、「うまくやれてるぜ」とは到底言えない。でも、たしかにここで暮らしている。近所にお茶を飲むお友達もできて、孫のように可愛がってくれている。家で仕事をするより役場に行くほうが安心する。この町と私が創る時計は確かにその時を刻んでいるのだった。
この文章を書いていて、無意識にこの町を「こっち」と呼んでいる自分がいる。
夜になると暗くなる空を見てほっとした。水平線に浮かぶイカ漁の光が、わずかに夜を灯している。