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【けもの道のコーチング】被害者意識の解消法
日本のコーチングは、「日本人の被害者意識」にかなり影響を受けています。
「日本人の被害者意識」を上手に整理しないと、シンプルに言い切れないなあ、と感じました。
コーチングは、「事実」よりも「意識」「感情」を丁寧に扱わないといけません。
「事実」を突き付けて「○○だろう?考え直せ!」と言われて変わるものではありません。
そもそもコーチングは、
「クライアントからの見え方」
「それについて何を感じるか」
「そして、どうするか?」
をクライアントが考えるサポートをするものです。
ここでは、『被害者意識』に限定したものだけれど、加害者と被害者の関係は、
スポーツの「1人~少数の勝者に対してその他すべてが敗者になる」勝者と敗者の関係と同じように、
「1人~少数の加害者に対してその他すべてが被害者意識を持つ」のと同じように感じます。
実際の加害者と被害者と、加害者意識を持つ人と被害者意識を持つ人は違います。
![](https://assets.st-note.com/img/1737921616-pFemgLPMQ1YXKB6lScE9axqJ.png)
1.勝者と敗者
![](https://assets.st-note.com/img/1737921648-D6v3QdmLqfkGatJElrP2VA10.png)
最初に、スポーツなどの勝者と敗者の話をしましょう。
スポーツには、勝者と敗者が決まります。同時にそれを観察している観客がいます。
勝者は価値を味わい、敗者は負けを味わいます。
勝者は、勝ちを味わうばかりではありません。勝ちを喜んだあとは、次のことなどを考えはじめます。
敗者は、負けを味わうばかりではありません。「今度こそ勝つために」という意識から、負けを味わうことが多いでしょう。
観客は、試合には出ていないのですが、出場者との関係や応援の仕方によって、勝者意識、敗者意識、観客意識を持ちます。
勝ったら敗者に優越感を持ちます。
負けたら、場合によっては勝者に対して攻撃性を持ちます。
人の感覚や感情の持ち方とは面白いもので、
勝ち負けを味わうのは当事者だけのはずが、
オリンピックや高校野球など、地域を代表して出場している選手がいたら、勝てば自分が勝ったかのように感じて満足します。
負けた時には、冷静になって自分と切り離して「がんばったね」と声をかけることもあるし、
「やっぱり日本だから/○○県だから」と地域のせいにして、挑戦が無謀だったかのように心の中の整合性を突けます。
攻撃性が高い人は、勝者へ攻撃性を持つ人もいます。
観客は出場していないので、観て応援するしかできないのですが、没入する人も大勢います。
アマチュアスポーツは選手個人になりきり、プロスポーツは勝っている時には選手、そうでない時には監督やコーチに憑依しています。
2.加害者と被害者
![](https://assets.st-note.com/img/1737921695-JxC2vopturWmbqk1OdM4TKyi.png)
何かが起こった時、加害者と被害者の役割が決まります。
でも、気持ちはそう単純ではありません。
例えば自動車を運転していて、飛び出してきた自転車と接触事故を起こした場合、
ケガへの対処を最優先したうえで、
「なぜ飛び出してきた?」
と被害者的感情も起こってきます。
「自分の責任を逃れる」という意味ではなく、「なぜこうなったか?」という事実関係をはっきりさせるために「加害意識」を持ちつつ「被害者意識」も持つものです。
結果としての事実と正義でどちらが悪い、とジャッジするのは簡単ですが、実際のところはそう簡単ではありません。
3.「加害者・被害者」と「部外者・観察している人」
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上記の自動車と自転車の接触事故の場合は、当人と家族以外は「部外者・観察している人」です。
事実と異なる嘘を言った当事者に、証人として「それは嘘だろう」と言うのまでは納得できます。
それ以上することは、法律としても、倫理的なことから考えても許されないことです。
人はさらに「部外者」が、加害者に対する被害者意識から「刑罰」を与える加害行為をしたり、
被害者に対する被害者意識を持ち、同様に「刑罰」を与える加害行為をすることもあります。
加害行為の中には、石を投げるなどの実力行使をする人もいれば、個人情報を集めて暴露する人もいます。
これら加害行為は、最初の「加害者」ー「被害者」になるのですが、
「善意の正義感で」「元のできごとの観客」だと考えると、自分が『加害者』だとは考えていません。
直接の当事者と感じていないので、「匿名」です。
この辺りから「被害者意識」を持つ人をどう扱うか、ややこしくなってきます。
4.一握りの人以外はすべて「被害者」である
オリンピックや高校野球は、優勝者以外はすべて敗者です。
「被害者」がいても、「加害者」がいないこともあります。
何か?
災害はすべての人が被害者です。
でも、「準備を怠っていた」と言われて、その人自身が被害者なのに、被害者から損害請求される立場の人もいます。加害者のように扱われていると見えます。
大きな災害の時には、「お金」「資材」「人」がそちらに割かれますし、道路や鉄道、物流が止まったり、テレビ番組が変わり、入試などのあらゆる日程が影響を受けます。
加害者がいないので加害者に請求できませんが、被害はあらゆるところに現れます。
それで、被害者は「なんとかしてくれ」と声を上げることが、まず第一です。
誰かをおもんぱかるのは、自分の大変さを声に出して訴えた後で十分です。
声を出さないと、無かったことになります。
「言わなくても見てくれている」
そんなことはありません。緊急に、今まず生きるために必要なことは、被害者の立場として言わないといけません。
5.『被害者意識』
被害者意識は際限がありません。
「元のようになんとかしてくれ」と、言いやすい相手に言います。
言うのは構わないし、言わないといけないことは言い続けないといけない。
日本だけではないかもしれないけれど、
大きな被害を受けた人の方があまり主張しないで、
その人に比べて被害が小さい人の方が被害を訴えることも起こります。
難しいところだけれど、
「被害者は何もしないでもよくて、救われないといけない」
と考えることなく、
自分で工夫できるのであれば、自分と応援できる範囲で周りの人を巻き込んで、行動したいものです。
もともと政治は、その地域で一番だった人が君臨した面もあったし、代表者を決めお金を出し合って一人ではできないことをする団体を作った面もありました。
だから、政治に「まずは自分で何とかしてくれ」と言うのは、正しいと言えます。
でも、「声が大きい人の方が」と言われることが多いですね。
でも実際は、
「手続きをわかっている行政経験者の方が」上手にされている印象があります。
6.被害者意識とコーチング
コーチングでは、「意識」や「感情」を扱います。
裁判をするわけではないので、「事実」は重視しません。
感情や今後を考える時には「事実」を繰り込んでいくことになります。
その先のすべて解決した状況の実現のための行動も大切です。
そもそもコーチングは、
「クライアントからの見え方」
「それについて何を感じるか」
「そして、どうするか?」
をクライアントが考えるサポートをするものです。
コーチングの視点でまとめます。
「被害者意識」は、心の内に向かっても、外に向かっても、かなり大きなエネルギーを持ちます。活用します。
まずはその被害者意識を、すべて口に出して、派生して出てきた感情もすべて口に出して、感情を出し切るまですべて出します。口に出すだけではなく、紙に書いても、絵を描いても、方法は何でも構いません。
コーチはすべてを知る必要はありません。その頑張り屋苦しみを知っていれば十分です。
とにかく出し尽くすことが大切です。
その上で、
「クライアントからの見え方」
「それについて何を感じるか」
「そして、どうするか?」
をクライアントが考えるサポートします。
ここまでお読みいただいたように、コーチはクライアントの暴言や妄想などを含めてあらゆることを聞かせてもらうことになります。
だからこそ、
コーチは感情を出し切るのに付き合ってくれる人であり、
「この人なら話してもいい」「聴くことを許す」という人をコーチに選んでください。
なんとなく感じていると思いますが、
目標は「人が聴いて受けがいいこと」ではなく、
「自分が本当に欲していること」がコーチングのテーマであり、目標になります。
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