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【エッセイ】思い出が美しいのはタイムマシンがまだ完成していないからかもしれない

「もしも生まれ変われるとしたら」、「今の知識、記憶のまま戻れるとしたら何歳からやり直したいか」、「自分の好きな時代に行けるとしたらどこに行くか」。
転生ものやタイムリープものの映画やアニメなどの作品を見ると、ふと、こんなことを考えてしまう。
 
子どもっぽい妄想だが、歳を重ねれば重ねるほど、戻れる過去が増える分、妄想にかける時間もついつい長くなってしまう。
 
「もしも過去に戻れるなら」妄想を始めた時は、自分のことを主人公よろしく、大人の頭脳を活かして、学生時代に無双してやろうという野望を抱き、世界も変えられちゃうかもとさえ思っていた。
 
この頃からしばらく月日が流れると、妄想でありながらも、自分はそういう主人公タイプではないので、現実味がないことに気づく。子どもと大人の妄想の違いは、こういった。変に現実とのつじつまや整合性などを考えてしまうことかもしれない。だから、妄想にかける時間も年々長くなっている気がしている。
 
こんな思考の変化から、過去に戻っても、ただただ街並みを見たり、事件になるようなことは極力避けたりして過ごすんだろうなと妄想する。
もしも人生をやり直したとしても、結局、今の人生と同じようなルートを辿り、面白みのないタイムトラベル生活を送るとしたら、それは意味があるのかという疑問が浮かんできてしまう。
 
「もしも過去に戻れるなら」という妄想を、ポジティブにもネガティブにもしていたら、結果、自分なりに一つの結論に至った。
“思い出はいつでも美しい”とよく言うが、それは、今はまだタイムマシンが完成していないからだろう。ということ。
 
「かけがえのないもの」「儚いもの」は美しく見えるもの。だから、思い出はキラキラしていて、宝物だと言える。
だが、もし過去に戻れるとしたら、「もし失敗してもまたやり直せばいいや」という気持ちになり、その瞬間の大切さや重みが軽くなってしまう気がする。
 
ゲームでも、何度でも簡単にコンティニューできるより、セーブもできず、ゲームオーバーになったらまた最初からスタートの方が、一回のプレイにかける真剣さも全然違うというものだ。
 
だからこそ、一度きりの人生の思い出たちは、美しいし、美しくあってほしいと願う。
 
それに、思い出というのは、良い出来事も悪い出来事も、その出来事を形成するのに必要なものを集めたダイジェストのようなものだと思っている。
だから、もしその思い出をまたやり直すと、時間が経って忘れていた、不必要な情報までが頭に入っていくことで、きれいな思い出としての純度が薄まってしまいそうな気がしてしまう。
 
もちろん、忘れていた記憶の中には、嫌なことだけではなく、楽しかったこと、嬉しかったこともあるだろう。それを思い出せるのは、ラッキーなことだ。
でも、忘れていた記憶によって、せっかく、ピカピカに磨いていた美しい思い出を汚してしまう恐れがある。
 
こういったことから、タイムマシンのない、過去に戻ることのない世界だからこそ、思い出を美しく感じるのだという思いに至った。
 
ここまで、過去に戻れないからこそ素晴らしいと言ってはきたが、実際にタイムマシンが完成し、過去に戻れる術があったら、気づいた時には、時空の海に出航している自分の姿も容易に想像できる。
 
でも、とりあえず今は、タイムマシンもないこんな世界を、タイムリープ能力も覚醒していないこんな自分が、未来へと向かって、ただただ地に足をつけて、歩いていくとしよう。
 
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