女性参政権は「チンポ騎士からのプレゼント」だった
「陰謀論に汚染されていない女性人権史」を独自に綴る連載の第5回。今回はいよいよ女性人権史における空前絶後の大事件、女性参政権の獲得その瞬間についてフォーカスを当てていく。
一般に、婦人参政権をもたらしたのは「サフラジェット」に代表される19世紀以降の婦人運動であると信じられているし、あらゆるフェミニズムの概説書もそうした歴史観を大いに強調している。
しかし連載第4回で詳しく解説したように英米の婦人運動は広範な国民的支持を獲得することに失敗している。この時代の婦人運動は「金持ちマダムの暇つぶし」的な色彩が強く、活動家もいわば余暇活動の一環として運動に参加する者がほとんどで、その偽善性や軽薄さはJ.S.ミルやディケンズなどの当時の進歩的知識人にさえ辛辣に批判されている。
そうした婦人運動の中でも、婦人参政権運動の悪名は際立っていた。そもそもこの時代においては男子普通選挙すら実現しておらず、兵士や労働者として国に献身しながらも選挙権を認められない男性労働者階級が男性人口のほとんどを占めていたのだが、そうした状況下で婦人参政権運動家は中産階級の女性の権利"のみ"を要求していたのだ。
慈善事業に携わる中産階級の女性の間でさえも婦人参政権運動の評判は悪く、たとえば1905年には女性慈善事業家の代表団が英首相に面会するという催しが企画されたのだが、戦闘的なサフラジェットと同席するのを嫌がるあまり多くの婦人慈善事業団体が代表団への参加を取りやめるという事態に発展している。
当時の記録から引用しよう。
こうした記録を見ると「闘う女と、それを抑圧する男たち」という神話がいかに虚偽に満ちているかがわかるだろう。サフラジェットが同時代の女性から広範な支持を取り付けたことは一度たりともない。偏狭な被害者意識を爆発させ暴力沙汰や破壊活動を繰り返すサフラジェットは、性別と階級を超えた全イギリス国民の軽蔑と嫌悪の対象であり続けた。
しかし、にも関わらず、1860年代から米国の一部や英連邦諸国において女性参政権は次第に実現されていく。
一体なにがあったのだろう。
その鍵を握るのはなんとも意外な人々、カウボーイたちだ。
オタサー化する西部開拓地
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