「哲学」のはじめ方
というわけで、毎度恒例マシュマロガチ回答のお時間です。今回の相談は先日のひろゆき論争をきっかけに本マガジンにたどり着いた22歳男性から。早速見ていきましょう。
これはシンプルながら極めて本質的な問いで、一読して自分も唸ってしまいました。どうすれば自分の哲学を持つことができるのか。つまり質問者は「哲学のはじめ方」を問うているわけです。
これほどラディカルな問いも中々珍しいと思います。ぶっちゃけた話をすると、自分も「哲学ってどうやって始めるんだっけ…?」と自問自答してしまいました。そのくらい一筋縄ではいかない、というか、誤魔化したり煙に巻いたりするのが難しい問いだと思います。答えるのがちょっと怖いまである。
ただここまでインパクトのある質問に答えないのは狂人の名折れでしょう。というわけで、本稿では真剣に「哲学のはじめ方」について考えてみました。あくまでひとつの参考意見としてお愉しみ頂ければ幸いです。
「哲学の入門書」を読むべきではない理由
哲学をはじめる上で最初に注意すべきこと、
それは「いきなり哲学の入門書を読もうとしないこと」です。
なぜか。まずは実際に、入門書にどんなことが書かれているのかチェックしてみましょう。たとえば英語圏で評価の高いバートランド・ラッセルの「哲学入門」は以下のような記述ではじまります。
はい、なんのことなのかさっぱりわかりませんね。
章題からして意味不明です。初っ端から「現象と実在」ですよ。もうこれ見た瞬間に卒倒する人が読者の80%くらいじゃないでしょうか。
でも、それで良いのです。「哲学をやるぞ!」とやる気を出したのにこうした難解な記述にぶつかって即死した方は無限にいますが、彼らと同じ轍を踏む必要はありません。これらを乗り越えないと「哲学」はできないのかというと、実はそんなことは全然ないからです。
なぜ「哲学の入門書」は哲学をはじめる上で不適切なのか。
それにはちょっと込み入った事情があります。というのは、学術的な意味での『哲学』という用語と、日常的な意味での『哲学』という用語の間に、かなりの乖離があるからなのです。
現状、「哲学」という言葉は、だいたい以下の3通りの意味で使われています。
はい、それぞれ全然違う意味ですね。ヤカンとミカンくらい違う。これらを同じ「哲学」という言葉で括るのはかなり無理があると言わざるを得ません。
そして悲劇としか言いようがないのは、たいてい「哲学をやるぞ!」と気合を入れてる人は②か③の意味で「哲学」を捉えているのに、本屋さんにある「哲学の入門書」はほぼ①の意味で「哲学」を捉えていることです。
これでは爆死する人が後を絶たないのも無理はありません。分野全体でミスリードしてるようなもんと言ってもよいでしょう。こうして世間には「哲学は難解だ」という印象だけが積み上がっていくわけですが、実は難解なのではなく単にジャンル選択を間違えただけという可能性が高いです。
相談者氏は
と言ってるわけですから、もう確実に存在論や認識論を学びたいわけではない。高確率で「生き方」や「社会」についての哲学を求めている。
しかし「哲学をやるぞ!」と本屋に駆け込むと、溢れんばかりの形而上学で窒息させられてしまうわけで、まさに哲学を学ぶときの最初の落とし穴がここにあるわけです。
というわけで、哲学をはじめる上で最初のポイントは
自分がやりたい「哲学」がどんなものか、まずじっくり考える
ことと言えるでしょう。上の「哲学」分類を再掲します。
この中のどれをやりたいのかが決まったら、ようやく次のステップです。「より良い生き方」なのか「あるべき社会像」なのか。スマホから離れられるサウナの休憩室あたりでじっくり考えてみましょう。
あ、一応、まず居ないとは思いますが、「形而上学がやりたい人」という方は普通に哲学の入門書を読んでください。冒頭でこき下ろしたラッセルの「哲学入門」とか実は超良い本なのでお勧めです。
ヘロイン問答
ここでは
としての哲学について深堀りします。まぁ大体の人が「哲学」というと思い浮かべるのがこれじゃないですかね。上では「倫理学や人生哲学etc」と書いてありますが、ある種の文学や芸術なんかもこのジャンルに属していると言えそうです。「生き方」を問うタイプの哲学は、ある意味で最も裾野が広い「哲学」と言えるでしょう。
では、これをはじめるにはどうすればいいのか。闇雲に倫理学の本やら古典文学の名作やらを読めばいいのか。まぁ戦前の旧制高校の学生なんかはそういうやり方がトレンドだったっぽいですが、忙しい現代人にお勧めなのはヘロイン問答と呼ばれる思考実験を挟むことです。
ヘロイン問答とは
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