「オタク」と「サブカル」はなぜ対立したのか
今の若い世代にはほとんど想像もできないことだが、かつて「オタク」と「サブカル」はそれこそ不俱戴天の仇のように仲が悪かった。
「仲が悪い」と言うのは、読売ジャイアンツと阪神タイガースのような健全なライバル関係ではない。それこそイスラエルとパレスチナのような、完全な絶滅戦争を仕掛け合う間柄だったのだ。
オタクが市民権を獲得した後の時代、個人的には「電車男」(2004年)あたりがターニングポイントだったと思っているが、それ以降の時代に青春を送った世代はこの対立構造を聞いてもいまいちピンと来ないのではないだろう。しかしオタクとサブカルの対立は、1990年代あたりまでは本当にアクチュアルなものだった。
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そもそも「オタク」と「サブカル」の違いとはなんだろう。
もちろん辞書的に言えば「サブカル」はサブカルチャーの略語であり、スポーツやテレビなどのメインカルチャー以外のカルチャー(それは「オタク」も含む)を指すわけだが、俗語としての「サブカル」には独特のニュアンスがある。
あくまで筆者の感覚で言うが、「サブカル」という言葉が指すのはいわゆる雑誌「宝島」あたりからの系譜に連なる、一群のカルチャーを指すものではないだろうか。
「それって具体的にどんなものなの?」と言われると、あまりに対象が広いので少々答えに窮する。「ヴィレッジヴァンガードって何があるの?」と言われて、とっさに答えられないのと同じだ。「サブカル」を明確に定義することは難しい。ある特定の何かがサブカルであるか否かを判断することはできるが、サブカルとは何かという明確な定義を引くことはほとんど不可能なのだ。
しかしそれでも「オタク」と「サブカル」は違う。それはメロンブックスとヴィレッジヴァンガードが違うように、歴然として違う。
もちろんメロンとヴィレヴァンは、品揃えが全く異なるというわけではない。メロンに置かれている商品がヴィレヴァンに置かれていることも多々あるし、むしろ商品の共通性は比較的高いと言えるだろう。
しかしそれでもメロン(オタク)とヴィレヴァン(サブカル)は根底から違う存在なのだ。それこそイスラエルとパレスチナのように、である。
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オタクとサブカル、この極めて似通っているにも関わらず決定的に異なるふたつは一体何が違うのだろう。
筆者は考えはこうだ。
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