自称「性暴力被害」のほとんどは「コミュ障女性の生きづらさ問題」であるという不都合な事実
2記事連続で性暴力関連の話が続いてしまい大変恐縮なのだが、丁度いい具合にTwitterが炎上したこともあるので、これを機に性暴力被害やそれが生じさせるトラウマの実態について基本的なところをおさらいしてみようと思う。
なお本稿は性暴力被害について過大視することも矮小化することもなく、地に足のついた実情を根拠を提示しながら論ずることを目的としている。「レイプなんか微罪で良いだろ」式のミソジニーを期待している読者もいるかもしれないが、おそらく高確率でそうしたご期待にはお応えできないのでご留意いただきたい。
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まずはじめに言っておくと、
「一度でもレイプ被害に遭えば女性は深刻なトラウマを負い、その後の人生がめちゃくちゃになる」という世間に流布するレイプ神話は完全に誤りである。
なぜここまで実態から乖離し、また当事者にとってスティグマにしかならない神話が流布しているのか甚だ理解に苦しむのだが、「レイプは女性の人生をめちゃくちゃにする」という神話を維持することで利益を得る人々も世の中にはいるのだろう。はっきり言っておくが、もしあなたが「性暴力被害者のために何かがしたい」と考えているならまずはこうした「神話」の誤りを認識することがはじめの一歩である。
こう言うと、「じゃあ女性はレイプ被害にあっても何も感じないってこと?」と早とちりする慌て者が出てくるかもしれないが、もちろんそうした解釈も性被害の実態をまったく捉えられていない。
どういうことか。つまり同じ「性暴力被害」でもどのような経緯や背景からそれが振るわれたのかによって当事者の予後は大きく異なるのだ。やや込み入った話になるが、まずはいわゆる「心的外傷」(トラウマ)の一般的性質について軽く概説していこう。
トラウマになりやすい体験、なりにくい体験
そもそも「心的外傷」(トラウマ)とは一体なんだろうか。
こう聞かれればほとんどの人が
「過去のつらい体験が心の傷となって残ること」
と答えるだろう。一応は正解である。この領域について詳しい読者なら「PTSD」(PostTraumaticStressDisorder=心的外傷後ストレス障害)という診断名をあげて心的外傷がいかに心身に影響を与えるか論じてくれるかもしれない。
しかしこう思ったことはないだろうか。
「トラウマって、なんか虐待とか性暴力とかいじめとかお決まりのパターンばっかだよな」と。
そう、「つらい体験」自体は世に溢れるほど存在しているにも関わらず、「心の傷」となって残るほどつらい体験はそれほど存在しないのだ。
たとえば生牡蠣に当たりノロウイルスで酷く苦しむ体験は極めてつらい体験と言えるが、食あたりが心的外傷として残りPTSDと診断されたケースについて耳にしたことのある方は恐らくいないだろう。他にも絶叫マシンが想定以上にハードでビビり散らした体験なども一般にはつらい体験とされるが、絶叫マシンのせいでPTSDと診断され治療を受けているという当事者の話を聞いたことがある方もいないのではないかと思う。
なぜ「食あたり」や「絶叫マシン」は心的外傷を形成しないとされているのか。ひとつには多くの人が人生で直面する一般的な課題を精神医学的な対象として医療化すべきではないという精神医学の根本的なフィロソフィーに起因するところもあるのだが、もうひとつ重要な理由にこれらの「つらい体験」が一過性ですぐに終わるものだからという説明仮説がある。
心的外傷の評価尺度は
・その体験のことを繰り返し思い出してしまう
・その体験に関連する場所や物を遠ざけたいと感じる
・他のことをしていても常にその体験が頭から離れない
・ふとした瞬間にその体験について感情が強くこみあげてくる
などの質問で測ることが一般的だが、「生牡蠣でノロウイルスに当たった体験」や「ハードな絶叫マシンでビビり散らした体験」がこのような尺度で測れる心的外傷として表れることは極めて稀なのだ。一過性で終わるつらい体験は心的外傷を形成しにくいのである。
それではどのような体験が心的外傷として残りやすいのか。
一過性のつらい体験の反対だ。逆境体験が長期にわたり、また同じような苦しみを繰り返し味わう場合には心的外傷を形成しやすくなる。
長期にわたり同じような苦しみが続く逆境体験。そう、C-PTSDのお決まりのシチュエーション「虐待」「いじめ」「家庭内暴力」「家族の喪失」「従軍」などはこうした条件を満たすからこそ深刻な心的外傷を形成してしまうのだ。こうした逆境体験による心的外傷を専門用語で「長期反復性トラウマ」だとか「複雑性トラウマ」と呼ぶが、その名の通り「長期」に渡り「反復性」のある逆境体験ほど重篤な心的外傷を生じさせやすいのである。
おそらく世に流布するレイプ神話は、こうした事例を指して生まれたのだろうと筆者は思っている。
親からの性的虐待や、誘拐監禁を伴う性的暴行など、ある種の性暴力被害は「長期」と「反復性」を両立させることがある。その残虐性で有名な「女子高生コンクリート詰め殺人事件」や、尊属殺重罰規定違憲判決のきっかけになった「栃木実父殺害事件」はいずれも被害女性が長期に渡る反復的な性的虐待の被害に遭っている。
こうした長期かつ反復性のある性暴力が深刻な心的外傷を生じさせ当事者の予後に大きな影を落としうるのは紛れもない事実である。
つい最近もジャニーズJr.の組織的な児童性虐待が明らかになったが、あれなどは深刻な心的外傷を生じさせやすい長期反復的な性暴力の典型であり、だからこそ筆者は関係者を刑事罰に処すべきだと強く主張していたわけだ。子供を守るべき保護者や教育者が権力勾配を利用し児童に対して繰り返し性的虐待を行うケースは性暴力の中でも最も深刻な心的外傷を生じさせやすいもののひとつである。単なる「性暴力・レイプ」の範疇に留まらない凶悪犯罪がジャニーズJr.の組織的児童性虐待と言える。
さて、ここまでは一般的に性暴力被害と絡めてイメージされやすい長期反復性トラウマについて扱ったが、この条件を満たさない心的外傷も存在する。
それが「単回性トラウマ」と呼ばれるものだ。その名の通り、「単回性」つまり1回限りの逆境体験を契機に形成される心的外傷がこれに該当する。
1回限りの性暴力被害や、地震や津波などの天変地異、交通事故被害などによって生じる心的外傷はこれら「単回性トラウマ」と呼ばれている。先ほどの「1回限りのつらい体験はトラウマを形成しにくい」という発言と矛盾するようだが、命に関わるような重大な恐怖や戦慄、肉体的に侵襲度の高い暴力被害、人間としての尊厳を剥奪され強い無力感を強いられる出来事などでは1回限りでも心的外傷を形成しうるとされている。
「交通事故の後遺症で車に乗れなくなった」という相談はよくあるが、これは典型的な単回性トラウマによるPTSDである。命の危険や肉体的侵襲性という条件があると、人はたった1回の外傷的出来事からもPTSDを発症してしまうらしい。
もちろんどのように単回性/長期反復性を切り分けるかというのは難しい問いだ。例えば同じ震災被害でも、震災後すぐに別地域に引っ越した場合と、被災地近隣で長期に渡るシェルター暮らしを余儀なくされた場合では全く事情が異なってくる。後者の場合は「単回性」とは言い難い。長期かつ反復的な逆境体験ではないか?という視座も必要になってくる。しかしそうした当事者の心的外傷があくまで地震や津波のショックにのみ限定されている場合もあり、そのアセスメントは難しい。まぁここから先は完全に専門職の領域なので本マガジンで触れるべきでもないのだが、このように同じ原因から派生したトラウマと言えどそれが形成されたシチュエーションや期間によって全く異なってくるのが心的外傷というものなのだ。
そしてあくまで一般的な傾向を述べれば、長期反復性トラウマに比して、単回性トラウマは圧倒的に回復しやすいと言われている。
というか、あまりに回復が難しいPTSD患者がいるものだから「PTSD」から分離して「C-PTSD」(複雑性PTSD)という診断名が考案され、それが公的に認められICD-11に記載されるようになったのがつい最近の2019年のことである。
このように、診断名を分ける必要がある程度には単回性トラウマに基づくPTSDと長期反復性トラウマに基づくC-PTSDは異なる疾患であり、前者を後者の世界観で論ずるのは当事者へのスティグマ付与という面からも正しいケア知識の啓蒙という面からもきわめて問題が多い。
ちなみに「一般に性暴力が被害者の心身にどれほどの影響を与えるのか」については警察庁による調査報告がある。結論から言ってしまうと性暴力被害は類似の犯罪被害と比して回復が容易な犯罪被害である。
例えば犯罪被害からの回復状況について見ると、性被害は配偶者からのDVや児童虐待などと比して圧倒的に回復しやすいことがわかっている。これは数字で見ると交通事故以上の割合である。
ちなみにより詳細に見ると「性的な被害」でも痴漢等の強制わいせつは交通事故よりも圧倒的に回復しやすく、強姦等でさえストーカー被害と同程度には回復しやすいという結果が出てくる。
これをどう解釈するかは意見が分かれると思うが、筆者としては被害の肉体的侵襲性の大小(≒膣挿入の有無)だけが原因ではなく、加害者の属性に起因する面も大きいのではないかと思っている。
というのも痴漢被害がほぼ全て見知らぬ加害者による単回性の被害であるのに対し、強姦被害は継父、祖父母、元配偶者などを加害者に持つ傾向があるのだ(上資料2-1)。こうした親密圏の中で振るわれた性暴力は「長期的」かつ「反復的」という条件を満たしやすく、単なる肉体的な侵襲性を超えて深刻な心的外傷を生じさせやすい。
肉体的な侵襲性がないにも関わらずストーカー被害が強姦被害と同程度に回復しづらいのもそうした理由からだろう。上資料2-1を参照すればわかるように、ストーカー被害も元恋人や同僚や友人など加害者の属性が親密圏内の人々である確率が極めて高い。困窮者支援に長年携わってきた筆者の体感としても「見知らぬ人間からの性暴力」より「家族や元恋人からの性暴力」の方が圧倒的に深刻な心的外傷を生じさせているという感触がある。
ともあれこのように、同じ「性暴力被害」でも当事者が問題なく回復しているケースの方がむしろ多く、回復困難な心的外傷を負うのは家庭内における性的虐待やジャニーズJr.のような特殊な権力関係に根付いた性的虐待など一部のケースがほとんどなのである。
だからこそ筆者は「一度でもレイプ被害に遭えば女性は深刻なトラウマを負い、その後の人生がめちゃくちゃになる」という世間に流布するレイプ神話を強く否定しているわけだ。あれは当事者に対するスティグマを強めさせ、正しいケアや治療から当事者を遠ざける結果しか招かない。
こうした言説は女性一般の被害者性を強調し発言権を高める効果を有しているのだろうが、そのために一部の性暴力被害者にスティグマを負わせることがあってはならないのは言うまでもないことだ。昨今流布するこの手のレイプ神話は「女性」というマジョリティに権力を付与するため「レイプ被害者」というマイノリティを踏みにじろうとする不正義なものだと筆者は感じている。
個人的に、とりあえずレイプを過大視して騒いでおけば善人ヅラできるという当世の風潮には反吐が出る。当事者へのスティグマの付与や、誤った知識の流布、性被害以外の当事者の不可視化という面からも、こうした行為は善どころが邪悪かつ醜悪なものでしかない。考えなしの自称善人の群れほど善から遠いのは人類史が教える通りである。
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さて、ここまでの内容で一応は「性暴力被害と心的外傷」について基本的な説明はできたとは思うのだが、本稿はここからが本番である。
以上の内容を読んで、みなさんは疑問に思わなかっただろうか。性暴力被害者の多くが回復し、回復困難なのは一部の長期的かつ反復的な逆境体験を経験した者に限ると言うのなら、なぜSNSには「性暴力のせいで人生を破壊された!」と叫ぶ女性がここまで多いのだろうか。
もちろん性暴力の被害を過大に見積もることで被害者性を高め発言力を強めたいという無意識的な欲望もあるのだろう。しかし全員が全員そうなのだろうか。SNSには「当事者」として切々と自分語りをはじめる者も少なくない。心的現実として「性暴力被害の当事者」として発信している女性は実際に数多く存在するのである。
しかし長期反復的な性的虐待の被害者や、誘拐監禁を伴う性暴力事件の被害者は統計上は極めて少数である。暗数を考慮に入れたとしても、「石を投げれば当事者に当たる」とでも言えそうなSNSの自称当事者の氾濫とは明らかに数字があっていない。
一体これはどういうことなのか。
はっきり言ってしまうと、「性被害のせいで深刻なトラウマが残った」と主張してるケースの多くは発達障害など女性側の特性ゆえに「望まぬ性関係」を累積させているだけの単なるコミュ障女性の生きづらさ問題であり、一般に想定される狭義の「性暴力被害」とは全く内実が異なるという支援職が絶対に言えない不都合な事実が
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