幸福になるための「正しさ」を選べない人たち
反フェミニズム・反リベラル的な言論が、そろそろ一定数の人々に知られるようになってきたということなのだろう。「リベラル」の側からの反論が、ぽつりぽつりと表面化するようになってきた。
先日話題になったこちらの記事などはその筆頭かもしれない。反フェミニズム・反リベラル論壇の主張をある程度は取り上げながら、その上で「そんな異議申し立てをしても幸福にはなれないのだから口を閉ざせ」と結ぶ内容だ。
当たり前だが、社会運動は自己啓発セミナーではない。社会運動は社会を変革するために自らの時間や労力や感情といったコストを費やす行為であり、個人の幸福のみを考えれば基本的にはマイナスの行為だ。
自己利益だけを考えれば、既存社会で支配的なイデオロギーに尻尾を振るのが最も効率がいい。戦前の日本なら大政翼賛会に入り「非国民」をよってたかっていじめ、ナチス政権時代のドイツならヒトラーユーゲントに入りユダヤ人商店を襲撃して回り、1950年代のアメリカならKKKに入って黒人をリンチして回るのが「最適解」だ。2021年の現代であれば「リベラル」な価値観の元、MeTooのようなキャンセルカルチャーを熱心に応援するのが最も適応的な振る舞いだろう。
しかしある種の人間は、そのような振る舞いを拒む。それぞれの良心のために、それぞれが信じる価値のために、それぞれが決して譲れないもののために、既存の価値観に闘いを挑む。
理由はわからないが、彼らは抗う。
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