ネトゲのサークルクラッシュから考える、この世でコンサルが必要とされる理由
まさにコンサルが必要だった典型的な事例を発見したので共有したい。
オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話
記事の内容を端的にまとめると、あるオンラインゲーム(おそらくFF14)において、高難易度コンテンツに挑む過程でチームが崩壊してしまった経緯を詳細に綴った体験談だ。記事の内容を一部引用しよう。
少しずつ先のステージに進めてはいるものの、クリアにはまだまだ程遠い。
そんな状況で、少しずつお互いの「向上心」のちがいが顕著になってきていた。
「うまくなりたいからお互いの改善点を指摘しよう」というクリア目的派と、
「うまくはなりたいけどそのために嫌な思いはしたくない」という仲良し派で分かれたのだ。
(中略)
そうやって日に日に空気が悪くなっていくなか、積極的にあいだに立って、みんなの仲をとりもつAさんがいた。
Aさんは人当たりのいいお兄さんタイプで、失敗が続いても「大丈夫大丈夫!」と励ましてくれるし、うまくいくと「今の最高だったね!」と褒めてくれる。
その人が場を明るくしようと冗談を言ってくれたり、落ち込んだ人を励ましたりしてくれるおかげで、グループがやっていけていたといっても過言ではない。
「Aさんがいてくれてよかった」。
みんなそう思っていた。
しかしそのときはまだ、だれも知らなかったのだ。
クリアできない理由が、Aさんにあることを……。
(中略)
計測ツールを使うと、「だれがどれだけモンスターにダメージを与えたか」がはっきりとわかってしまう。
その結果、「Aさんが明らかな足手まとい」だと判明したのだ。
Aさんを除いて全員がクリア水準に達しているけど、Aさんのマイナスをカバーをできるほどではない。
だからクリアできない。
(中略)
Aさんは蚊の鳴くような声で「ごめん……」とひと言。
「俺がいなければクリアできてたってこと……?」
それを聞いた仲良し派は「Aさんがかわいそう、そっちだってあのときミスしたじゃん!」と言い出し泥沼状態。
一番うまい人は、「そう言われるのわかってたから言い出せなかったんだよめんどくせー」と取り合わず。
Aさんは「自分なんかが高難易度コンテンツやってすみません、ゲームやめます」とツイートするし、Bさんは責任を感じて病みツイート連投するし、リーダーは相変わらず激おこだし……。
結局、関係者がお互いをブロックしあうという胸糞エンディングを迎えた。
このような話は、チームで仕事をしていると本当によくある。特に起業や新規事業を経験したことがある方なら、まさにいろいろな思い出がフラッシュバックして脂汗が出てくるような事例である。
事業を成功させるために必要な努力と、チームの関係を良好に保つために必要な努力は、往々にして相反する。人材と役職のミスマッチが起こっていたり、問題のあるメンバーがチーム内人脈の中で重要なポジションを占めていたりというのは、5人程度の組織でも十分に起こり得ることだ。
チームのクオリティを上げるための努力と、チームの一体感を高めるための努力は、往々にして相反する。チームビルディングにおいて重要な位置を占めていたAさんが、事業達成のための障壁となっていたこの記事のストーリーは、まさに典型的な事例と言ってよい。
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こんな時に役に立つのがコンサルだ。
多くの人はコンサルのことを「課題解決に必要な知的作業を手伝ってくれる高度知的人材」と考えている。もちろんそういう側面も多分にあるし、それはそれで間違いではない。
しかし考えてみてほしい。頭が切れるだけの門外漢で解決できる問題というのは、本当に難しい問題なのだろうか。戦略コンサルを数名のチームで一ヵ月アサインさせれば、それだけで数千万円の費用がかかるとされている。頭が切れるだけの門外漢の頭脳は、本当にそれだけの価値があるのだろうか。
もちろん、彼らの頭脳にそんな価値はない。なんらかの専門性にずば抜けて特化したコンサルタントなら話は別なのかもしれないが、戦略コンサルのような「頭が良いだけ」の人材の頭脳が事業に与える正のインパクトはそれほど大きくない。実際コロナ下でコストカットのやり玉の最先端に挙げられているのがコンサルへの外注費である。
コンサルの本当の存在意義は頭の良さではない。そうではなくて、彼らがチーム外からやってきた邪悪なサイコパスであることが重要なのだ。
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