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「友達のお父さん」として見たトヨタ会長・豊田章男さん

なんとなく、色々なところで豊田章男さんのことが話題になっているので、自分も思い出話をしてみようと思う。

豊田章男さんは自分が人生の中で遭遇した人々の中でも10指に入るほどの奇妙人だ。お会いした回数は十数回程度だったと思うが、今も強い印象が自分の中に残っている。人間にとって生まれとは、生き方とは、そういうことを考えるとき章男さんの思い出がチラつくことが幾度となくあった。

自分にとって章男さんは、トヨタ自動車会長だとか経済界の重鎮だとかと言う前に「奇妙な信念を持ったひとりの男」という感じが強い。というか、それ以外の章男さんを知らない。よって本稿からは自動車産業や日本経済に対する有益な知見は得られないと思う。ただ息子やその友人の前で章男さんがどんな顔を見せていたかについてはほんの少しわかるかもしれない。そのような前提の上読んで頂ければ幸いだ。


友達のお父さん

そもそもなぜ筆者のような木っ端文筆家がトヨタ自動車の会長と会ったことがあるのかというと、話は単純で中学高校の友人の父親が章男さんだったからだ。丁度章男さんの長男が自分と同じ学校に通っており、通学に利用する路線が同じことから次第に仲良くなり、休みの日に互いの実家に遊びに行くような関係になった。中学時代は一番つるんでいた友人だったと思う。

なので自分的には「豊田」というと友人である章男さんの長男が連想されてしまい、なんとなく豊田章男さんのことは「章男さん」と呼んでしまうところがある。これは中高の同級生連中もだいたい同様で、みな「豊田の親父さん」とか「章男さん」とか呼ぶのが習いになっていると思う。

なのでこの記事では「豊田」と言えば筆者の友人である章男さんの長男を、「章男さん」と言えば豊田章男さんを指すことになる。やや違和感のある表記かもしれないが、ご寛恕願いたい。

さて、そんな経緯から豊田の家にひんぱんに遊びにいくようになり、豊田家で夕食を頂くときなど「友達のお父さん」である章男さんに遭遇する機会がなんとなく増えていった。

もちろん当初は単なる「友達のお父さん」であり、中学生の自分にとって最初章男さんは特段なんの面白味もない単なるオッサンでしかなかった。

無論「車の会社をやってて大金持ちらしい」程度のことは認識していたのだが、中学生男子が金持ちのオッサンに興味を抱くわけもなく、そんなことよりも「無修正エロビデオを如何に入手するか」などの深刻なテーマについて豊田と話しているほうがはるかに楽しかったし重要だったのだ。

それがやや変わったのが、筆者、豊田、章男さんの3人で休日一日旅行に出かけることになった一件からだ。たぶん2001年の中1の夏あたりだろうか。自分と豊田と章男さんの3人で川にカヌー下りをしにいくという企画が持ち上がったのだ。

どういう流れでそうなったのか記憶が曖昧なのだが、たしか豊田の親サイドから誘われたのだと思う。大人になったいま思えば、その年の冬にうちの親が自分と豊田を連れてのスキー旅行を計画しており、その返礼という意味もあったのかもしれない。

「なんか豊田から今度の日曜日カヌーで川下りいかねって誘われた。あっちはお父さんが来るみたい。行っていい?」

と親に告げたとき、父親が「ビクッ」と反応したことを子供心に覚えている。そのときは珍しく父親が居間におり、いつもは無口は父親が「豊田くんのお父さんが来るのか…?」とかなり深刻な顔で聞き返してきた。ここら辺で子供心に(あれ、あのオッサンもしかして思ったより偉い人なのか…?)と内心ヒヤリとしてきたのだが、当時は今と違ってスマホもwikipediaもなくトヨタ自動車の規模や影響力などはついぞ認識することができなかった。

ともあれ、こうして豊田と章男さんとの日帰り旅行が決まった。筆者が章男さんの中に比類なき「奇妙さ」を見出したのは、まず、この旅においてだ。


奇妙なカヌー旅行

早朝に集合し、章男さんの運転する地味な自家用車に乗り込み、カヌー下りを行う川へと向かった。自分と豊田は後部座席でバカ話をしながらじゃれついており、章男さんは静かにハンドルを握っていた記憶がある。

しばらくすると、

「小山くん、朝早かったろ。おにぎり握ってきたから食べなさい」

と言って章男さんが朝食のおにぎりを出してくれた。なんでも章男さんが手ずから早起きして握ってくれたらしい。筆者の父は家事をまったくしないタイプの男だったので「マメなオッサンだな」と驚いた記憶が残っている(今考えると「マメ」どころの話ではないのだが)。

カヌー乗り場に着くと、驚いたことにほとんどひと気がなかった。もしかしたら貸し切られていたのかもしれない。管理人からマンツーマンで一人用カヌーの乗り方をレクチャーされ、3人で川に出た。なんという川なのか名前は忘れてしまったのだが、流れは緩やかで急流下りというよりはのんびりとしたカヌークルーズという感じだった記憶がある。といっても初めてのカヌーなので皆何度もひっくり返り、その都度頭から水を被りながら、おっかなびっくりぎこちない手つきでパドルを操っていった。それでも夏、冷たい川にざぶりと落ちながら船体を操るのはなかなか楽しい経験だった。

ただし、カヌーというのはかなり体力を使う。しだいに息が切れ腕の筋肉がパンパンになっていき、冷たい渓流に落ちまくるせいで身体も冷え、休憩を求める気持ちが大きくなっていった。筆者も豊田もまだ13歳の中学1年生だから尚更だ。そんなタイミングで章男さんが

「がんばれ、もうちょっとで休憩できるところがあるから」

と言ってくれた。言葉通りすぐに川幅が一気に広くなり、カヌーを停められそうな場所が増えて来た。よく見るとなぜか川岸にひとりのおじさんが座っておりニコニコ微笑みながらこちらを見ている。

「あそこで休もう」

章男さんは迷わず見知らぬおじさんの方にぐんぐん船を進めていく。筆者も仕方がないので章男さんについていく。とうとう章男さんは見知らぬおじさんの目の前に船を停め、当然のようにおじさんの近くに腰を下ろしてしまった。

どうも豊田もおじさんとは面識がないようだ。筆者も無論のこと初対面である。戸惑いながら、章男さんの後についておじさんの近くの岩の上に腰を下ろす。するとタイミングを見計らったようにおじさんが微笑みながら「コーヒーでもどうですか」と暖かいコーヒーのカップを渡してくれる。

ここで筆者はかなり混乱した。見知らぬ人の親切?いやそんなわけがない。周囲には誰ひとりおらず、そもそも3杯のコーヒーをソロのハイキング客が見計らったように用意しているわけがない。ということは我々がここに来るのを見越して、このおじさんはコーヒーを沸かしていたのだろう。しかしどう考えてもコーヒーショップのような「店」ではない。するとなんなんだろうか。わざわざ自分たちに1杯のコーヒーを渡すため、このおじさんは何時間も前からここに待機していたのだろうか。

章男さんは特になんの説明もせず、当たり前のようにコーヒーを啜っている。確かにコーヒーはそれまで飲んだどのコーヒーよりも香り高く、子供心に「普通ではない」と感じさせる美味しいコーヒーだった。豊田はやや俯きがちにコーヒーを飲んでいる。おそらく筆者が驚いているのが伝わって、恥ずかしがっていたのかもしれない。章男さんはそれには気付かず、心地良い疲れと美味しいコーヒーを楽しんでいるように見える。どうも「突然コーヒーでもてなしてくれた見知らぬおじさん」は章男さんにとって驚くことでも混乱することでもないようなのだ。

休憩を終え、章男さんはごくさりげなくおじさんにカップを渡し、カヌー下りを再開しようと子供たちに呼びかける。筆者もおじさんに礼を言ってカップを渡し、自分のカヌーに乗り込む。

しかしカヌー下りの後半は、前半と違ってほとんど記憶がない。

「コーヒーを渡してきたあのおじさんは一体何者だったのか?」

筆者の頭はその疑問で一杯になってしまったのだ。


庶民と銭湯

カヌーでの川下りを終え、午後の夕近い時間になった。この後はどうするんだろう。子供心にそう思ってると、章男さんが大真面目な顔で奇妙なことを言いはじめた。

「小山くん、カヌーは楽しかったけど、こんな贅沢ばかりをしちゃいけないよ。だから今から銭湯に行こう。みんな身体も濡れてるしね」

ここでまた筆者は混乱した。風呂に入るなら家に帰って自宅の風呂に入れば良いではないか。そうすれば無料だし、タオルや石鹸をレンタルすることもない。ついでに言えば豊田の家の風呂はちょっとしたアパートの個室程度の大きさがある巨大で快適なものである。

にも関わらず、なぜわざわざ銭湯に行くのか、とっさには意味が理解できなかった。しかも「贅沢ばかりしちゃいけないから銭湯に行く」とはどういうことなのか。自分の家の常識では銭湯というのは「たまの外出」的なイベントでありどちらかと言うと「贅沢」に属するものだったのだが…。

ともあれ3人で車に乗り、街に向かった。この記事を書きながら気づいたが、相当な距離をカヌーで移動したはずなのに車は終着点近くの駐車場に停めてあったと思う。おそらく誰かが代行で運転し移動させたのだろう。カヌーの終着点から実にスムーズに車に乗って銭湯まで向かった。

目的地の銭湯は今流行りの「スーパー銭湯」というのとも違う、昭和風の巨大な銭湯だった。3人で受付を済ませる。番頭さんが「タオルと石鹸は如何ですか」と聞くと、章男さんは「バスタオルは要らないので、手ぬぐいと石鹸だけください」と答える。

ここでもまた少し混乱した。ただここでは章男さんは筆者の反応を想定していたようだ。またしても真面目な顔で

「小山くん、上手く使えば身体を拭くのにバスタオルは要らないんだ。あとでやり方を見せてあげよう」

と言ってくれた。正直ここでも「なぜバスタオルを使わないんだ…?」とかなり疑問に思ったのだが、この時になると豊田章男という奇妙人についての関心が筆者の中でかなり高まっており「とにかくこのオッサンのやることを素直に聞いてみよう」という肚になっていた。

大浴室に入り、湯舟に浸かる。一日旅行中、筆者は基本的には豊田とふざけ散らかしていたのだが、流石にカヌーの疲れもあり銭湯ではゆっくり湯舟に浸かる気になっていた。それは3人とも同じだったようで、お湯に浸かりながらなんとなく静かに過ごす時間が訪れ、章男さんもリラックスした表情を見せる。子供2人と大人1人。ぼんやりとした入浴時間を過ごす。

さて、そろそろ出るか…というタイミングで章男さんの顔がまたしてもやや真面目になり、

「小山くん、手ぬぐいの使い方を教えるから見てごらん」

と言って手ぬぐいで身体を拭く方法を実演しながら教えてくれた。

と言ってもなにか特別な方法があるわけではない。手ぬぐいで身体を拭き、手ぬぐいが濡れそぼったら力を入れて水気を絞り、また乾いた手ぬぐいで身体を拭く。それだけである。ただ家でバスタオルを使うことに慣れ切っていた筆者にはなんとなく新鮮だったことを覚えている。

「こうすればバスタオルは必要ないんだ。バスタオルを使うのは贅沢だって考え方もあるんだよ。これが庶民感覚なんだ。贅沢に慣れるのは怖いことだから、小山くんもなるべくバスタオルは使わずに手ぬぐいを使った方がいい」

そんなことを極めて真面目な顔で筆者に向け章男さんは話していた。強調するが章男さんは子どもの目から見ても「真面目」だったのだ。友達のお父さんがお風呂で使える裏ワザを子供たちに披露している、という軽さはどこにもなかった。彼は明らかに何か極めて重要なことを子供たちに伝えようとしていた。ひょっとすると子供たちではなく、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。

一日旅行はこうして幕を閉じた。

渓流、カヌー、川下り、コーヒー、銭湯。どれも新鮮だったしどれも楽しかったが、筆者にとって最も強い印象を残したのは紛れもなく豊田章男というそれまで見たことのない不思議な男の姿だった。

この人はいったいどういう人なんだろう。13歳の筆者は溢れる疑問と興味で頭の中がいっぱいになってしまった。

余談だが、筆者は今も銭湯に行くときは章男さんのやり方で身体を拭っている。


「普通」への情熱

豊田章男豊田のお父さんとは一体どういう人間なのか。13歳の筆者の頭には、章男さんの見せた不思議さが強い印象となって刻まれてしまった。

筆者は理解できないことがあると自分なりの答えが出るまでその問いについて考え続けてしまう悪癖がある。章男さんは今まで見たどんな大人とも似ていない。父親とも、親戚のおじさんとも、教師とも、どの友達のお父さんとも似ていない。あのコーヒーを渡してきた不思議なおじさんは何だったのか。「贅沢ばかりしちゃいけないから銭湯に行く」とはどういうことなのか。13歳の子供にとってこの謎は難問だった。かなり長い期間この問いについて頭の中で考えを弄んでいたように思う。

念のために言っておくと、章男さんの長男である友人の豊田はどこからどう見ても「普通」の男子中学生だった。スポーツ観戦が好きで、筆者と同じくらい学校の成績が悪く、大勢でグループを作るのがなんとなく苦手でいつも2-3人の少数で固まるのを好み、筆者と同じくモザイクが入ってないエロビデオを入手することに男子中学生らしい真剣な情熱を燃やしていた。

だから豊田に対して章男さんのような奇妙さや不思議やを感じたことは一度も無かった。彼はまったく普通の男子中学生だった。今にして思えば豊田章男の長男が「普通」なことこそ驚異なのだが、だからこそ章男さんの見せた不思議さが強く引っかかったのかもしれない。

わざわざ早起きして手作りのおにぎりを作り、手ずから地味な自家用車のハンドルを握って息子とその友人をレジャーに連れて行く章男さんがいれば、カヌー乗り場をたった3人のために貸し切り、休憩地点でコーヒーを飲むためだけに使用人を待機させる章男さんもいる。そんな贅沢の釣り合いを取るため、半ば義務のように息子とその友人を銭湯に連れていく章男さんもいる。

あの日の章男さんの行動の理由が理解できるようになったのは、年齢も二十歳を超えて筆者の人生が色々とアレなことになり、生まれながらの貧富の差というものを肌感覚として理解できるようになった頃だと思う。

おそらく章男さんは、

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