人文教養を身に付けることのメリットとデメリット
最近、けんすうさんという方のnoteマガジンを購読してます。自分のフォロワーはあんま知らないと思うんですが、昔nanapiというノウハウ共有サービスを作ったりした、いわゆる「起業家クラスタ」の有名人みたいな方です。
ノウハウ共有サービスで起業しただけあって、けんすうさんは「ハウツー」とか「ライフハック」みたいな分野にかなり愛着があったみたいなんですよね。学校で教えるまどろっこしい教養より、具体的な課題をクリアするための実践的な知識の方が有益じゃん!みたいな。ただし最近は実践的な知識に全振りすることが自分の知的成長を妨げてる気がするという気づきにいたり、方向修正を試みているらしいとの話ではあるんですが。
なんてことのない、言ってみれば「よくあるビジネスパーソン気付き」的な話だと思われるかもしれないんですが、けんすうさんの「転向」は自分にとってめちゃくちゃ感慨深いものでした。
というのは、自分はけんすうさんの真逆だったんですよ。人文書ばかり読んでライフハック本とかハウツー本を目の敵にしてた。それらに目を通すのは「穢れ」とすら思っていた。そこに限界を感じて同じく「転向」したのが自分だったわけです。
「ハウツー本のアンチ」は何を考えているのか
「実用書ばかり読んであまり人文書を読まない」というタイプの方はけんすうさんはじめビジネスパーソンにはかなり沢山いるんですが、「人文書ばかり読んで実用書を読まない」タイプって相対的にレアですよね。
もちろん居るところにはウジャウジャ居るわけですが、彼らは身内のインナーサークルにひきこもってしまい自分たちの内在的論理をあまり言語化しません。だから外から見ると異常と言うか、「無駄飯喰らいのくせにやけに偉そうなキチガイ集団」に見えてしまうわけです。
彼らがなぜハウツー本をはじめとする実用的な知識体系を目の敵にするかと言うと、人文知の根本が「価値」を巡る批判的検討にあるから、というのがひとつの答えだと思っています。
たとえば哲学というのは、自明とされている様々な認識(例:『世界は存在する』)に対する批判的検討がひとつの大きな目的なわけです。デカルトさんという近代哲学の始祖は「今この瞬間に『わたし』が存在すること以外は全て疑わしい!」(cogito, ergo sum)という極端なことを言いだして認識論と呼ばれる分野を大いに発展させたわけですが、一事が万事このような具合で、「そんなの当たり前じゃん?」とか「そんなの常識じゃん?」と言いたくなるような日々の些細な諸々にケチをつける態度が人文知の根底にはあります。
これは哲学だけに留まりません。たとえば歴史学は史料(古文書とか遺跡とかそうゆうの)の批判的検討を通じてそれまで「当たり前」とされてきた歴史を検証していく学問ですし、法学に至っては価値判断そのものが分野そのものの大目的と言っても過言ではないでしょう。このように世間で当たり前のものとされている「価値」に疑いのまなざしを向け、その性質や効用について考えを深め、新しい「価値」を提示したりするのが人文学という営みであるわけです。
「ハウツー本のアンチ」が生まれる背景はここにあります。つまり人文学を一定以上接種してしまうと、世間で「当たり前」とされている様々な価値に対してアレルギー反応を起こすようになってしまうんです。
ハウツー本って、基本的にゴールとする「価値」を自明のものとして設定しますよね。たとえば「お金持ちになりたい」とか「もっと良い会社に転職したい」とか「いい大学に入りたい」とか「仕事の能率を上げたい」とか「いい感じのプレゼンができるようになりたい」とか。損得をベースとした明確な価値基準を設定して、それをどうクリアするか?という流れで話が進んでいく。
しかし人文学マニアからすると、「損得をベースとした明確な価値基準」というそもそもの前提がめちゃくちゃ気持ち悪いわけです。前提となる価値基準の妥当性を論じるのが人文知ですから、そこが議論されずに「いや当然だよね?」みたいな顔して出て来られるとそれだけでもうアレルギーを起こしてしまう。
人文系出身の学生は就活で不利だとよく言われますが、しごく当然だと思います。だって実社会で求められる仕事って「自社サイトのCVRをあと0.1%上げる」とか「新卒の3年以内離職率を今より10%下げる」みたいな具体的なミッションなわけじゃないですか。
そこで「CVRを上げることはそもそも正当なのか?」みたいなこと考え始めたら仕事にならないわけですよ。でも人文学はそういう思考法を学生に叩きこむのが仕事で、しかも「答え」を必要としない批判的検討の方法"のみ"を教えられるので、現実との妥協とかそういう実務的な知恵を強く忌避するようになる。
こんなんが新卒で来たらもう悪夢ですよ。人文系学部の出身者を採るなら、なるべく「真面目に勉強してなさそう」なのを採ることをお勧めします。
ビジネスパーソンが人文教養を学ぶメリット
ここまで読んでくれた方の多くは「人文学こわ…絶対触らんようにしよ」と思ってくださったと思います。基本はそれでOKです。あんなもん遠ざけておくに越したことはありません。
ただし、ある種の業界と、ある種の職域においては、人文学が役に立つこともたまーーーーに発生します。いちおう、公平性のために人文学が役に立つシチュエーションのお話もしておきましょう。
先ほど「人文学とは『価値』について検討する学問分野だ」というお話をしました。ただ「価値」と言っても「お金が儲かって嬉しい」とか「セックスが気持ちいい」みたいな話については人文学はあまり立ち入りません。万人にとって自明な生理的欲求の先にある、議論が分かれがちな「価値」について考えるのが人文学です。
例を出すと、「自由」とか「正義」とか「善」とか「公平」とかそういうやつですね。最近だと「エコロジー」とか「動物の権利」とか「ジェンダー平等」とか「SDGs」とかも人文的な領域と言えるでしょう。
こうした様々な価値について学ぶとどんな良いことがあるかと言うと、めちゃくちゃなコストカットができるんですよ。これはメーカーをはじめとした二次産業でも、サービス業をはじめとした三次産業でも変わりません。
例えば典型的な例に
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