「産んだス文明」という幻想
どうも最近、若年出産を称揚するようなネット言説が勢いを増しているらしい。
まぁ気持ちはわからないでもない。
晩婚化が急速に進行する現代日本において、「若くして子供を持つ」ことは慶事ではなく凶事として扱われている。そんなことで少子化問題が解決するはずがないではないか、という反発心を抱くのも当然だろう。逆張り的発想として「若年出産こそが次世代のライフスタイルだ!」くらいの大言壮語を吐きたくなる気持ちも、繰り返すように、まぁわからなくもない。
ただ、そうした風潮に異を唱える向きもあるようだ。自身が若年出産家庭に育ったというある読者からは「大卒で平穏な人生を歩んでる連中は若年出産に伴う困難を理解できているのか」という憤りのメッセージが送られてきた。
言うまでもなく、若年出産は貧困を伴う。十数年前に中学生の出産をテーマにした「14歳の母」というテレビドラマが社会問題化したことがあるのだが、そのドラマの中では子供を孕ませてしまった名門進学校の男子中学生はすべてのキャリアを諦めて中卒で運送業に就職するという結末を迎えた。もちろんこれはドラマの一幕だが、若い未熟な男女が学業からドロップアウトして婚姻生活を営むことには当然多くのリスクとデメリットがある。
もちろん貧困を伴うとしても、それで子供が増えるのであればそれもまた進化論的な意味での「適応」であると言える。しかし本当に若年出産と出生増は結びついているのか。以下で詳しく解説するが、若年出産率と合計特殊出生率の間にはなんの相関関係もない。ときにはアフリカ諸国を少子化対策のロールモデルとして仰ぐような暴論まで散見されるが、アフリカの高出生率は文化的要因ではなく医療・衛生的な要因によるものであり、日本に輸入できるようなものでは決してない。
どうも日本の少子化対策にまつわる議論は混乱のただ中にあるようである。「ジェンダーギャップを解消すれば少子化は解消する!」という左の暴論があれば、「アフリカを見習え!」「昭和に還れ!」という右の暴論があり、なんとも残念なことに左右どちらも完全に議論が噛み合っていない。もちろん議論の全体像を見渡そうという努力もほとんどされていない。
本稿は混乱し続けるを少子化をめぐる論争に、多少の筋道をつけることを目的としている。左の暴論も、右の暴論も、言うまでもなくどちらも論外である。少子化問題について地に足のついた議論がしたいと考える向きは一読して頂ければ幸いである。
なぜアフリカの出生率は高いのか
厚生労働省によれば、2020年度の日本の合計特殊出生率は1.33だそうだ。ざっくりと2人の成人から1.3人しか子供が生まれないわけで、たったひと世代だけで人口が30%以上減少する計算になる。深刻に捉えるべき数字だろう。
ところが世界を見渡すと、合計特殊出生率がとんでもない数字をはじき出している国が無数にある。アンゴラ5.76、コンゴ5.56、ソマリア5.22…。ニジェールにいたっては6.73だそうだ。2人の夫婦から平均6.7人の子供が生まれるわけで、とんでもない人口爆発が今まさに進行中である。ちなみにニジェールの人口ピラミッドはこんな形になっている。
こうした国々を見ると、「前近代的なアフリカの価値観や文化に少子化を解決するヒントがあるのでは」と思いたくなってくるかもしれない。しかしそれこそが数字の落とし穴である。というのは近代化をとっくに終えた国であっても、アフリカ諸国のようなとんでもない出生率をたたき出すことはありふれているからだ。その国のひとつこそ、
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